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二つの本屋|佐佐木定綱(歌人)
各界でご活躍されている方々に、“忘れがたい街”の思い出を綴っていただく連載「あの街、この街」。第41回は、歌人の佐佐木定綱さんです。佐佐木少年が毎週末通っていた地元の本屋さん。今も鮮やかに思い出す、忘れがたい本屋さんの光景とは――。
二つの本屋があった。
ひとつは商店街にある陽明堂「日原書店」、ひとつは駅前デパートの中にある「紀伊國屋書店」。25年ほど前の二子玉川の風景である。
「知っている人」は土曜の夕方になると日原書店を訪れる。週刊少年ジャンプを土曜の16時ぐらいに売り出すのだ。早売りである。禁じられている。
外からは見えない入り口の横のスペースにこっそりと、表紙を隠すベニヤ板まで載せられて、そのブツは積まれている。期待と禁断症状に震える手でそこからいち早くジャンプを抜き出すときの喜びと言ったら。禁止行為とはやはり快楽の隠語なのかもしれない。
表紙は光り輝いていた。心象風景の誇張ではない。16時の西陽が反射するのだ。
「220円」
いらっしゃいませなどという愛想も接客スマイルも持ち合わせていない、笑いを忘れたバカボンのパパそっくりの店主が金額だけを呟く。なけなしの小遣いを差し出すと、まだ一般には出回っていないその禁制雑誌を手に入れることができる。
学生はもちろん、若者からおじさんまで。みなその光り輝くものを買いにきていた。大人たちが茶封筒に入ったヤバいものを抱えながら周囲をキョロキョロと警戒し、颯爽と去っていくさまはまさに闇の世界のエージェント。そこはマンガの世界の延長だった。実際は店の前が車道のため車を確認しているだけだったが。
U字型の店内は地下牢のように薄暗く、独居房のように狭く、ネグレクトの家のように雑然としていた。
マンガはこのアングラな本屋で買っていた。『ドラゴンボール』『ワンピース』『NARUTO』『こち亀』『封神演義』……。ジャンプに依存している。
入り口にあるほとんどが日焼けした攻略本コーナーでファイナルファンタジー6の攻略本を吟味し、コミックコーナーで新刊を探し、親に見せられない描写の『I"s』を覗き見し、街の本屋よろしく充実した官能小説とエロ本コーナーを横目に見つつ、ゲーム雑誌を買うか立ち読みしつつ悩む。
長いこと深海魚のように店内を回遊するため、だいたい笑わないバカボンのパパに万引きを警戒されて睨まれていた。
紀伊國屋書店は日原書店の1000倍ぐらい大きくて、トラックが通れるほど通路が広く、カビの生えた本もなく、エロ本を吟味するおじさんもいなかった。まさに陰と陽のような本屋である。
小説はこちらで買っていた。岩波文庫の『ドン・キホーテ』(全6巻)、『モンテ・クリスト伯』(全7巻)、『西遊記』(全10巻)などが置いてあって長編読破チャレンジにうってつけだったのだ。ドン・キホーテはサンチョの話が長過ぎる。
いまでは二子玉川も大きく変わった。日原書店は閉店していた。2019年頃に幕を下ろしたらしい。それでも、土曜の西陽の中で、永遠にジャンプは輝いている。
思い出の色に焼けたる本棚の背表紙たちに触れたき夜更け
文=佐佐木定綱
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佐佐木定綱(ささきさだつな)
1986年、東京都生まれ。歌人。「心の花」所属。2016年、「魚は机を濡らす」で第62回角川短歌賞受賞。2020年、第一歌集『月を食う』で第64回現代歌人協会賞受賞。2022年度「NHK短歌」選者。神奈川新聞歌壇選者。
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