あの日、古墳の街で予言者になったかもしれない私|浅生ハルミン(イラストレーター、エッセイスト)
昨年の、晴れた秋の日。分倍河原駅から西府のあたりまで古墳を見て歩いた。分倍河原は東京都府中市の真ん中から少しばかり西に位置し、東隣の駅には有名な府中競馬場がある。その南側に横たわる多摩川の河岸段丘の周辺には、6世紀から7世紀につくられた古墳群がいくつも点在する。東京の町なかにそんなにいっぱい古墳が? と興味を惹かれ、にわか古墳女子となったのだ。
駅に降りて、分梅町というかわいらしい名前の町を歩いた。目指す高倉塚古墳はすぐに見つけることができた。陽のよく当たる住宅地の真ん中に、小さな墳丘がぷっくりとある。手入れの行き届いた芝草が覆い、石段が付いていて、登ったり周囲を歩けるようになっている。
踏切を渡ってしばらく歩くと、次の古墳が出現する。大通りを越え、お隣の区画に行くとまた別の古墳。こんなにもいろいろな遺り方、遺され方の姿があるのか。国の史跡に指定されて、一年に一度賑やかなお祭りが催される立派な石葺きの古墳もよかったし、ご近所の人からお稲荷さんだと思われていたひっそりした古墳もよかった。どういうわけか物流倉庫の裏庭でフェンスに囲まれ、お茶の低木が植えられている古墳もあった。どの古墳も、気づかれたり気づかれなかったりしながら、いつもそこにあった。古墳は生き物ではないけれど、体を横たえ、じっと脈打っているもののように思えた。
さらに西の方へ歩くと西府駅。南口を左に行ったすぐの公園に、御嶽塚古墳群の中のひとつ、御嶽塚古墳がある。表示を見て初めて古墳だと気づく人も多そうな、公園と一体化したタイプだ。小学生たちが黒土の墳丘にランドセルを降ろして、くるくる駆け回っている。女の子も男の子も元気いっぱい。お腹が空いたらおうちを思い出してみんな帰っていくんだろうな。私には子どもはいない。家に帰ったって誰もいない。
* * *
男の子がひとり、鬼ごっこの輪から離れた。私はなぜそうしようと思ったのかわからないが、男の子に手招きをした。
「ねえねえ、ここ、古墳なんだよ。知ってた?」「へ?知らない」と男の子は答えた。表示板に書いてある由来を一生懸命読んで、「ほんとだ」とぽかんと口を開いた。男の子は友だちのいるほうへ駆け戻って、私のほうをちらちら見ながら、顔を寄せ合って何かを話している。意見がまとまったのか、今度はみんなで表示板を覗き込んだ。「この人の言っていることは本当だ」と理解したようで、わあ!と歓声があがった。
私はいい事をした、と思った。でももしかしたらあの男の子の報告が友だちに信じてもらえないという可能性もあった。あるいは「ここは古墳だと言って児童に接近する不審者出没」という通知が保護者に送られるかもしれない。私が話しかけたせいで、古墳で遊ぶことが禁じられたら子どもたちに申し訳ない……いや、それはない。子どもたちはびっくりしながら喜んでいたし、ここは正真正銘、古墳なのだから。
あの男の子が大人になったとき「子どもの頃、知らないおばさんに話しかけられたことがきっかけで、歴史学者を目指しました。僕の運命を変えた不思議な出来事でした」と、何かのインタビュー取材で話してくれるようなことがあれば嬉しい。よくあるではないか、主人公の前に予言者が突然あらわれて、重要なことを告げて去っていくという漫画のシーンが。うん、やっぱり私はいい事をした、と悦に入った。
* * *
私は子どもたちから見たら通りがかりのおばさんだ。それなのに、駆け回る少年少女諸君よ、私は君たちより「ちょっとばかり先輩」のものしりなんだぞ、と思っているふしがあった。私は楽しそうな子どもたちと張りあっていたのか。なんとも情けないことだ。でもなにより、未来のある子どもたちに古墳の存在を伝えることができたし、来てよかった。
府中市の古墳群や古代遺跡は、北側の国分寺、東側の調布との市境あたりまで、広い範囲に分布する。とても1日では巡りきれない。
文=浅生ハルミン