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頼れるのは自分 ヤマザキマリ(漫画家・随筆家)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2021年11月号「そして旅へ」より)

 人生で初めてひとりで乗り物に乗った時の緊張を今もはっきり覚えている。

 1970年代初頭、当時母はとあるオーケストラに所属するヴィオラ奏者だった。夫と死別してからは女手ひとつで娘2人を育てていたが、あの頃の日本はまだ職業婦人に対して寛容ではなかったし、ましてや音楽のような表現で生きている母子家庭は特異だった。しかし、プライドが高く、音楽を至高の芸術と確信していた母が、そうした周囲の目に自らの生き方を揺さぶられることはなかった。幼い娘たちに留守をさせることも、彼女の好きな楽曲の演奏があるときは娘たちに学校を休ませてコンサートへ連れて行くことも、親として生きる喜びと楽しさを謳歌する姿を子供に見せなければならないと信じていた母には当り前のことだった。

 音楽は母にとって生きる理由そのものだったが、娘たちにも同じように音楽が人生の支えであって欲しいと考えていたこともあり、私は4歳でピアノとヴァイオリンを学ぶことになった。

 どんな分野に対しても言えることだが、親が子供に何かを教えるとついつい感情的になってしまい、うまくいかない。それを踏まえて、母は友人のピアニストとヴァイオリニストに私のレッスンを頼んだわけだが、この2人の家へ行くには当時、私たち家族が暮らしていた家からバスで1時間半掛けて移動せねばならなかった。オーケストラはスケジュールが変動的なので、母が私のレッスンに同行してくれたのは、最初の数回きりだった。

「あとはマリちゃんだけで大丈夫よね」と楽観的かつ威圧的な母の言葉に私は抗うことができず、私はひとりでバスに乗ることになった。母はバス停まで私を送りに来ると、到着したバスの運転手に向かって「運転手さん、すみませんがこの子を〇〇で降ろしてくださいね!」と大きな声で頼んだ。ドアが閉まってバスが動き出すと、私は高鳴る鼓動をどう抑えて良いのかわからず、泣きたい心地で窓を開け、バス停を振り返った。すると、そこで立ち尽くしていた母は私が振り向いたのに気付くやいなや、踵を返してさっさと立ち去ってしまったのである。そのあまりの潔さに、私はもう誰にも甘えられないと、自分の意識を奮い立たせるしかなかった。

 その後14歳でヨーロッパに1カ月間のひとり旅に出された時も、母は空港のゲートまで付き添うと、あとは振り返りもせずに立ち去ってしまった。なんて素っ気ない親だろうとその時も思ったが、母の後ろ姿を見ながら私はその時もやはり「もう頼れるのは自分しかいない」と奮起した。 

 自分が親の立場となり、初めて子供をひとりでバスに乗せた時、実は私も母と同じ態度を取っていた。胸の中で「頑張れ」と子供に向かって何度も呟きながら、その場を立ち去るあの心地はきっとかつての母も感じていたものと同じに違いない。

文=ヤマザキマリ イラストレーション=林田秀一

ヤマザキマリ
東京都生まれ。漫画家・随筆家。2010年に『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。『プリニウス』(とり・みき氏との共著、新潮社)、『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)、『ムスコ物語』(幻冬舎)など著書多数。

出典:ひととき2021年11月号


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