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【江戸小紋】緻密な文様に奥ゆかしい美が宿る(東京都新宿区)

日本全国の“地域の宝”を発掘する連載コーナー「地元にエール これ、いいね!」。地元の人々に長年愛されている食や、伝統的な技術を駆使して作られる美しい工芸品、現地に行かないと体験できないお祭など、心から「これ、いいね!」と思える魅力的なモノやコトを、それぞれの物語と共にご紹介します。(ひととき2020年1月号より)

 江戸時代に武士の裃(かみしも)として発展し、町人の間でも盛んに着られるようになった江戸小紋。一色染めなので遠目には無地に見えるが、近寄って目を凝らせば地色には白い点や線が無数に散っている。そして、微細な点や線の集合が実は巧みな模様だと気づいて驚愕する。

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手前から、ふくらすずめ、行儀、丸通し。きっちり45度に四角が並ぶ行儀柄から「行儀良い」が生まれたという説も

 武士の格ある小紋は、鮫、行儀、万筋、大小あられなどで、裃柄を使えなかった町人は、洒脱でユーモアに富む江戸人らしい模様を考案。糸切り鋏、大根とおろし金、瓢箪など思わず笑ってしまう機知に富む模様が数多く生まれた。

 型紙は錐彫(きりぼり)による伊勢型紙で、富田染工芸には10万枚の型紙がある。「空襲の時、曽祖母が職人さんと背負って八王子の防空壕に逃げて守った」と言う。いかに貴重なものか想像できるが、この精緻な型を着物に染め上げるには、江戸の小紋師の優れた技量と感覚が必要なのだ。

 糊と染料を使うため、染屋は水の傍らに定着した。明治大正期には、浅草周辺の染屋が良い水を求めて神田川を遡って、早稲田、高田馬場、落合周辺に集まり、染色は新宿の地場産業になった。

 今回訪ねた富田染工芸の横には神田川、廣瀬染工場の傍らには妙正寺川が流れていて、昭和30年頃の祖父の代までは、川で染生地を洗い流す姿があったのだという。

「鮫に始まり鮫に終わる」と語る廣瀬雄一さんは4代目。鮫小紋が大好き。13メートルの白生地に型紙を置いて糊置きをすること40回。シンプルな故に難しいそうで、黙々と糊置きをする姿は、型紙と生地と一体化したかのようである。

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糊置きをする廣瀬雄一さん。一人前になるには「(型を合わせる)覗き3年、糊8年」。糊が乾くと縮むので時間との勝負

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箒の模様は、厄払いを象徴。柿渋で貼り合わせた和紙に彫る

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この小さな点が次の型紙を重ねるための合い印。わずか2つの星を目安にする

「手業(てわざ)ならではの味わいと豊かさを大切に、新しい表現をしたい」と、オリジナル柄に挑戦中。

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廣瀬染工場のストール。小紋をベースによろけ縞(右)、大小のあぶく模様(左)を重ねた。3万円~

 富田高史さんは6代目だ。「着物はどんなドレスより素晴らしい」と、型にはまらず自分の視点を大切にしたもの作りをと、頭の中で常にアイデアを捻っている。

 共に40代。新宿発の江戸小紋に新風を吹き込む若いふたりだ。

合成写真-1

富田染工芸の小物類[上]小紋蝶ネクタイ。上は宝尽くし、下は角通し。無地と組み合わせて小粋に[下右]小紋タイにはネクタイ用シルクを使用。右は独古〈どっこ〉(金剛杖)、左は鮫。[下左]菊唐草に角通しの2柄2色使いの小紋チーフ

片柳草生=文 佐々木実佳=写真

ご当地◉INFORMATION
●新宿区のプロフィール
「新宿」の名は1698年(元禄11年)に信州高遠藩主内藤家の下屋敷に新たに宿場が置かれたことに由来し、現在では歌舞伎町や神楽坂など都内有数の繁華街を擁する。区内には東京染小紋や東京手描友禅を製作する染色工房が点在。代々の技と歴史を今に伝えている。また、毎年2月には落合・中井地区を染めの街として発信するイベント「染の小道」を開催
●落合・中井地区へのアクセス
東京メトロ東西線高田馬場駅または落合駅下車
●問い合わせ先
「染の小道」実行委員会
http://www.somenokomichi.com
廣瀬染工場
☎03-3951-2155
http://www.komonhirose.co.jp/
富田染工芸
☎03-3987-0701
https://tomita.tokyo/

出典:ひととき2020年1月号
※この記事の内容は雑誌発売時のもので、現在とは異なる場合があります。詳細はお出かけの際、現地にお確かめください。


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