「出会いに恵まれ夢中で挑戦した20代でした」由美かおる(俳優・歌手)|わたしの20代
3歳でバレエを始めて、15歳のときにテレビ番組「11PM(イレブン・ピーエム)」の、英語のショーナンバーを歌って踊る新コーナーでデビューしました。芸能界のことは何も知らず、放送後「今のは誰?」と局に電話が殺到したと聞いて驚きました。石原裕次郎さんからも電話があって、「夜のバラを消せ」という作品で相手役に選ばれ、夢のような映画デビューになりました。撮影中、ホテルから撮影所に通うのは大変でしょうと裕次郎さんの奥様が私とマネジャーをご自宅に泊めてくださいました。自宅で寛ぐ裕次郎さんを「カッコいいお兄さんだなあ」と眺めたり。天真らんまんでしたね(笑)。
その後、「ヤング720」という番組で、マカロニウエスタンで大人気の俳優ジュリアーノ・ジェンマさんとモニカ・ヴィッティさんにローマでインタビューすることになり、必死にイタリア語を勉強しました。モニカさんが、カメラの位置やライティングの指示をされるのを見て、大女優はこんなふうに言うんだと勉強になりました。その取材後、偶然出会ったヨーロッパの大手レコード会社の社長に声をかけられて、日本とイタリアを往復しながらレコードを出したり、ベネチア国際音楽祭でも歌うことに。移住して本格的に活動をと、お誘いをいただきましたが、日本でもたくさん仕事があったのでお断りしました。
20代で出演した映画「同棲時代─今日子と次郎─」と「しなの川」は社会現象になりました。私は古風な人間なので、同棲ってどうなの? と考えたり、ヌードのポスターを撮ることはとても悩みましたが、愛とメルヘンというテーマならばと思い切って出演しました。「同棲時代」では、ラブシーンが難しくて。山根成之監督が「1・2・3・4の2・2・3」と調子をとりながら動きをつけてくださって(笑)、それに従うのが精一杯でしたが、美しく撮っていただけてありがたかったです。テレビドラマでは「座頭市」の勝新太郎さん、「高原へいらっしゃい」の田宮二郎さん、「ゆうひが丘の総理大臣」の中村雅俊さんや神田正輝さんと共演、「水戸黄門」には20代からのゲスト出演も含めて、初代の東野英治郎さんから里見浩太朗さんまで5代の黄門様にお仕えしました。私は本当に出会いに恵まれていると思います。
振り返ると、成人式のときも私はステージで新成人の方々をお祝いする側にいました。睡眠時間が2、3時間ということも多くて大変でしたが、それでも頑張れたのは、芸能界入りを反対していた父と「どんなにつらくてもやり通す」と約束したから。それに周りのスタッフが、出演者の私たち以上に頑張っている姿を見ていたからだと思います。「水戸黄門」の入浴シーンも、岩風呂、檜風呂、五右衛門風呂など毎回スタッフが工夫してセットを造ってくれたから、多くの方々に楽しんでいただけたんですよね。
10代から体重も体型も変わらず、今もミニスカートをはいています。人に見られる緊張感とリラックス、このバランスが私にとっての美の秘訣かな。四季折々の自然の美しさに触れる旅も大好き。車の移動が多かったので今はバスや電車に乗るのも楽しいです。わくわくしながら、チャレンジする。これからも自然体で前に進んでいきたいですね。
談話構成=ペリー荻野
出典:ひととき2023年8月号
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