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かわいくてグロテスクなアマビエ――「疫病時の護符」に見る日本人の偏愛

疫病退散にご利益があると言われ、日本中で大ブームを巻き起こしたアマビエ。中世の怪異を時代背景とともに解説した書籍中世ふしぎ絵巻の筆者である西山克先生が、「疫病時の護符」の歴史をひもときます。

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 江戸時代も終わろうかという頃に、疫病に対する社会的な恐怖につけ込んで、お金儲けをたくらんだ連中がいた。彼らは、神社姫やアマビコやアマビエなどという共通して奇態な姿の生物を創造し、摺物に写した。疫病除けという触れ込みである。かわら版のような摺物は当時のマスメディア。大量に社会にばらまかれると、これを買い求め、壁に貼り付ける人も出てくる。

 ひるがえって現代。新型コロナウィルス感染症の世界的大流行をうけて、江戸時代に生まれたこの生物たちが大活躍している。とくにアマビエの活躍はすさまじい。この列島に住む人びとは、こうした奇怪な存在を、理屈抜きに偏愛する遺伝子を抱いているのだろうと思ってしまうほどである。

 あまりにも有名になってしまったこのアマビエは、京都大学付属図書館蔵の弘化三年(一八四六)四月中旬と明記された木版の摺物に登場する。その摺物にはこう書いてある。まずは肥後国(熊本県)の海中に毎夜光物が出ていたと。光物は中世以来、神仏がこの世にあらわれる際に、よく使われる表現だ。神々は光物となって空を飛んだりする。その在所の役人が行って見ると、奇怪な姿の者が出現し、私は海中に住むアマビエと申す者だと名乗った。名乗ったうえでアマビエはこう言ったというのである。当年より六ヵ年の間は諸国で豊作が続くけれど、あわせて病も流行するだろう。急いで私の姿を写し、人びとに見せるようにと。そう言って、もとの海中に姿を消した。

 一方、アマビエと不可分の関係にあるアマビコにはさまざまなバリエーションがあるが、そのなかで特に古いのは、福井県立図書館蔵坪井家文書中の写本『越前国主記』に綴じ込まれた海彦の出現記である。これももとは摺物で、のちに模写されたもの。天保十五年(一八四四)春の年紀が記されていてアマビエより二年ほどはやく、越後国(新潟県)の浦辺にて海中より出現している。こちらは丸い頭に三本の太い足がつくだけの姿である。

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『越前国主記』より。福井県立図書館蔵

 アマビエの奇妙な姿は、さらにそれ以前に存在した予言する人魚――姫魚・神社姫――の影響を受けていると言われる。文政二年(一八一九)の四月十五日には、肥前国(長崎県)平戸沖で、身体が金色の魚、長さ四メートル弱、髪の長さ三メートルばかり、背中に宝珠の玉を三つもつという奇怪な生物が浮かびあがった。名は姫魚という。国立歴史民俗博物館蔵の『肉筆姫魚図』を見ると、三本の剣の尾びれをもち、顔は人間の女で頭に二本の角、口には小枝をくわえている。彼女は龍宮からの使いでつぎのように言った。七ヶ年は豊年だ。しかしコロリ(痢病)という病がはやり、人がたくさん死ぬことになる。私の姿を描きなさい。ひと目でもそれを見れば、この病を逃れることができる。そう言い終えてまた海中に沈んだと。

 このような奇怪な想像力に富んだ図像が護符的な機能をもつのは、日本だけのことではなかった。韓国では、十九世紀に流行したコレラのような実態のわからない伝染病を怪疾(ケジル)と呼んだが、その病除けに猫の絵を貼ることがあった。普段の災害除けなら虎を描いた護符になるのだが、この時はコレラの疫鬼が鼠鬼神とされていたから、その天敵として猫が駆り出されたのである。

「和歌」がお守りになることも

 私が普段から読み進めている日本中世の日記にも、疫病時の護符というテーマの参考になりそうな記事が出てくる。伏見宮貞成の『看聞日記』をひもといてみよう。応永二十八年(一四二一)の記事。その前年から日本社会は応永の大飢饉と呼ばれる未曽有の災害に襲われていた。飢饉はつねに疫病の流行をともなった。紹介するのはそれに関連した記事である。

 その年の七月十一日に、伊勢の宮人が伏見宮家を訪ねてきた。先月の七日に伊勢神宮で神の託宣があったという触れ込みである。なんと、このたびの疫病の流行は戦死した異賊の怨霊のしわざなのだという。宮人とは神宮の下級の神官か、あるいは伊勢信仰を唱導する御師のこと。彼は和紙に託宣を墨書したものを持参していた。江戸時代なら摺物になりそうだが、そこは室町時代のことである。伏見宮貞成が見ると、そこにはこう書いてあった。去々年、蒙古襲来の時、神明治罰に依って遺賊若干が滅亡した。その怨霊が疫病となった。万人死亡すべし――と。

 去々年つまり一昨年には、朝鮮軍が対馬を襲うという事件があった。いわゆる「応永の外寇」のことである。巷間では、朝鮮軍の攻撃を蒙古・高麗の攻撃と誤解しているケースもあり、託宣でも蒙古襲来となっている。いずれにしも、異賊たちは日本の神々の治罰によって滅亡した。ところがその異賊のまつろわぬ怨霊たちが、疫病を引き起こしているというのである。万人が死亡するのだ、と。

 すでに発生している疫病の原因を怨霊のしわざと決めつけたうえで、万人死亡すべしと言う。不特定多数の都市民の恐怖を引き出すことを目的にしている、ほとんど恫喝と言っていいような文章である。疫病の発生を予言しているわけではない。ただ、万人死亡すべしは近未来に対する最悪の予言と言っていい。

 もちろん宮人の託宣語りはそれでは終わらない。彼はそこで伊勢の神の託宣歌を持ち出している。これもまた、託宣と同じ料紙に書きとめられ、護符のように壁に貼ることを想定していたに違いない。日記の筆者である伏見宮貞成はこの託宣歌について、「どうせいい加減なものだよ」とか言いながら、まめな彼の癖で四首ある歌の全文を書き残してくれている。後世の私たちからすると貞成は本当にありがたい人である。歌はつぎのようなものであった。最初と最後の二首を書き上げてみよう。

  千はやふる神も居墻はこえぬへしむかふ箭さきにあくまきたらす
  千はやふる神のしき地に松うへて松もろともに我もさかへん

 現状は異賊の怨霊が疫鬼と化し、都で荒れ狂っている。伊勢の神はそれに対抗しようとしているわけだ。先の一首は、そのために神が住まいを出て、つまり斎垣を越えて、悪魔にむかって矢を放つと歌っている。怖れた悪魔は近づきもしない。もう一首はこう言っている。神の敷地=住まいには松を植えるのがよい。その松が生長すれば、神もまた栄えていくだろう。

 この場合の神の居墻や神の敷地は、この宮人の布教を信じて邸宅のなかにこの護符を貼った家そのものを指している。あるいは伊勢神宮の大麻(お札)くらいは買わせてあるかもしれない。その邸内の庭には松を植えるといい。松が栄え、神も霊力を高め、その家は永遠の安全と幸せを享受できる。

 私たちの列島に住む人びとが、災害時の護符に特別の力を期待してきたことを、この室町時代の事例は雄弁に物語っている。ただ残念なことに、この伊勢の宮人の護符には絵がともなっていない。

 戦国時代に成立した『針聞書』(九州国立博物館蔵、一五六八年)という鍼灸師のためのテキストはご存じだろうか。病気の原因となる、かわいくてグロテスクな虫たちを描いた図鑑である。さらに江戸時代には博物学的な好奇心に支えられて、奇怪な図鑑がたくさん制作され、私たちの偏愛のたしかな素地がつくられる。江戸時代も終わろうとする頃に登場するアマビエのような奇怪な予言者たちは、こうした歴史の流れのなかにうごめいている。

【参考文献】
湯本豪一「予言する幻獣」(小松和彦編『日本妖怪学大全』小学館、二〇〇三年)
申東源『コレラ、朝鮮を襲う 身体と医学の朝鮮史』(法政大学出版局、二〇一五年)
長野栄俊「予言獣アマビコ考―「海彦」をてがかりに」(『若越郷土研究』四九ー二、二〇一六年)
笹方政紀「護符信仰と人魚の効能」(東アジア恠異学会編『怪異学の地平』臨川書店、二〇一八年)

 西山 克=文 北村さゆり=画

西山 克(にしやま まさる) 京都教育大学名誉教授
東京都生まれ。京都大学大学院博士課程単位取得。東アジア恠異学会前代表。著書に『道者と地下人―中世末期の伊勢―』(吉川弘文館)、『聖地の想像力―参詣曼荼羅を読む―』(法蔵館)などがある。
北村さゆり(きたむら さゆり) 日本画家
静岡県生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科修了。宮部みゆき著『三鬼 三島屋変調百物語四之続』(日本経済新聞出版)の表紙を担当するなど幅広く活躍中。

中世の怪異を時代背景とともに解説した西山克先生のご著書がこちら

【お知らせ】
「中世ふしぎ絵巻」で恐ろしくも愛らしい妖物の数々を描いてくださった北村さゆりさんが、7月13日から個展を開催中です。広い会場は作品でいっぱい。北村さんの幅広い画業が堪能できます。静岡県藤枝市小石川町のギャラリー、アートカゲヤマ(054-641-5850)にて、今月26日まで。ぜひ、現地へお運びください!

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