「努力なしには上がれない場所があることを知りました」小菅正夫(獣医師)|わたしの20代
僕はね、ずっと目の前のことしか考えてこなかったんですよ。それで大学に入る時も出る時も苦労しました。
中学で柔道を始め、高校時代は北海道大学に通い大学生に交じって稽古するくらい入れ込んで。だから大学は北大に行くと決めていたんだけど、肝心の受験勉強を全然していなかった。てっきり就職するものと思っていた先生は、僕が「北大行きます」と言ったら「何しに?」って(笑)。結局2浪して入学しました。
大学でも柔道第一。獣医学部に進み、そこそこいい成績を収めていたんだけど、なにしろ授業より稽古優先でしょ。いざ卒業となったら単位が足りない。教授に泣きつき研究室に日参して課題をこなし、ようやく卒業が決まったけど、もう就職先はない。研究生として大学に残ることにしたところが、3月になって旭川市が旭山動物園の職員の増員を決定したことで募集がかかったんです。それで、ひとり出遅れていた僕が採用された。
子供の頃から生き物を育てるのが大好きだったから、動物園の仕事は本当に楽しかったですね。担当する動物のことは任せてもらえたので、試行錯誤しながら飼育方法を改善したり、先輩たちに比べ圧倒的に足りなかった知識を得ようと勉強会を開いたり。鳥の繁殖に必要な性別判定のため、勤務時間外に染色体の研究をして学会発表もしました。指導してくれた大学教授には「このまま続ければ博士号も取れる」と期待されてたんですよ。
それがかなわなかったのは、入園者数の減少で廃園の危機に陥った動物園の復活に全力を注ぐと決めたから。その後、飼育係長を経て園長となった僕は、皆で一丸となって園の大改革を進めることになりました。今振り返ると、どん底の動物園を月間有料入園者数日本一に導いたことも含め、どんな逆風の中でもあきらめず努力を続けられたのは、大学時代の「七帝柔道*」のおかげだと思います。
当時の北大は、大事な試合「七帝戦」で負け続けていました。だから3年生で主将に指名された時、どうしたら勝てるのか考えたんですね。七帝戦は15人の団体戦。ほかの大学には強者がいて、どうシミュレーションしても勝てない。結果、当たり前のことに気づいた。「負けなければいい」と。七帝柔道は寝技中心の特殊な柔道です。一発で決まる立ち技と違い、寝技なら抑え込まれても30秒の猶予があるし、関節技を決められても「参った」をしなければいい。負ける時は相手でなく自分に負ける時。だから自衛隊、機動隊、刑務官など、とにかく強い相手を探し、周囲にはやり過ぎと言われるほど稽古しました。すると最初は「体が壊れる」と弱音を吐いていた部員たちも、次第にしのぐ術を身につけていく。
こうして臨んだ大学最後の年の七帝戦は、この「負けない」柔道がはまり、引き分けの末の抽選での運の強さも相まって、決勝まで勝ち進んだんです。最後は大将決戦で京大の主将に討ち取られて悔しい思いをしたけど、1回も勝たずに準優勝したのは記録的なことでした。
どんなに努力しても勝ちが保証されるわけではない。でも努力なしには絶対に上がれない場所がある。それがわかった気がしました。目標を示して皆で共有する大切さを学んだのもこの時。僕の原点は七帝柔道にある。そう思っています。
談話構成=佐藤淳子
出典:ひととき2024年3月号
▼この連載のバックナンバーを見る
この記事が参加している募集
最後までお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、ウェブマガジン「ほんのひととき」の運営のために大切に使わせていただきます。