12/14 察することができる人になりたい

12/12と12/13の土日とも、7:30~13:00までファストフード店、15:00~22:30まで某雑貨店の怒涛のバイトスケジュールだった。毎週末はこんな感じだ。

今日は、その月曜日。眠気の中、親に学校まで送ってもらった。午前中は実験だったが、実験以外のレポート書く時間はまるで二日酔いのように机に突っ伏していた。そしてふと思い出した。

この土日の、束の間の一服。人と人は、言葉はあれど言っていることが全てでは無くほんの一部でしかないことがある。特に本人にとって大事な(良かれ悪かれ)ことは。大勢の人は、人が吐いた言葉を100%だとして、言葉が万能であることを前提に解釈する。それはとても勝手である。

私は、言葉にできない思いがたくさんある。でも、その思いを無理にでも言葉にしたら、自分が最低なやつになるのではないか。そして、物事が理想と真逆の方向へ行ってしまうのではないか。そんな予想が容易にできる。中途半端に正直に生きてたら、嫌なことしか起こらなかった経験からそんなことを思うのだろう。他人や自分への嘘がほとんどの毎日の中で、わずかに絞り出された正直さは、世の中は歓迎せずに、時に致命的な災を吹っかけてくる。特に母親や父親がそんな勝手に手前のことだけを解釈してとやかく言ってくる親となった場合、本当に参。

たぶん、似たようなことを思う人はいると思う。

そして、私も勝手な人間の一人である。彼が吐いた言葉の裏に隠れた本当の意味を察することができなかった。そして、同じミスを今もまだ繰り返している。このままだと、母親から与えられた苦しみを自分の大切な人にも与えてしまうかもしれない。そう焦っていたのだ。

土日のバイトが死ぬほど忙しくて、身も心も余裕がないからこそ、そんなことを考えて焦っていたのだろうと今ならわかる。

こんな弱々しい私でも、誰かの光になれるだろうか。自分の光が欲しいからって、誰かの光になろうとするのは傲慢だな。もし、今のダメな私のまま誰かの光になったら、その誰かを救ったという既成事実を自分の光に見立てようとするのだろう。つまり、自分のためだけに誰かを救ったということだ。それは救ったとは言わない。傲慢以外の何者でもない。何も変わらないんだ。

あーーどうしたもんかねえ

おやすみ

 

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