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余白の方が大事かもしれない

何かをする時、何かをした時。つい内容を充実させることばかり考えがちだけれど、もしかしたら余白の方が大事なのかもしれない、とふと思った。

余白とは、言い換えれば余裕のことであるし、ゆとりとか含みとか、どちらかと言えば「大人びた」要素だと感じる。

言葉を発する時もそうだ。例えば、セールスマンに目をつけられたとしよう。セールスマンが「絶対こいつに買わせてやろう」という圧力をもって、考える隙を与えずにまくし立ててきたとしたら、私はかえって「怪しさ」や「言外に存在する余裕のなさ」を感じて、やんわり断るか保留にする。

まだそこまで関係性ができていないのに、性急に近づいてこられたりゴリ押しされたりしたら、『ああ、とりあえずなんかこの人は焦ってるのかな?』と考えるし、押された分だけ恐怖を感じて後ずさりしてしまう。

何でもかんでも「ガンガンいこうぜ」、がいいわけではないよなぁ、と。それは自分の言動にも当てはまることで。

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何かをする時、何かを始めた時。最初からうまくいけばいいけれど、そうじゃないこともある。そういう時ほど「うまくいかせようとして詰め込もう」としてしまう気がする。

でも、詰め込めば詰め込むほど、趣旨が何だったか分かりづらくなったり自分自身がドツボにはまったりしがちで、いい方向には進みにくくなる。

焦った時ほど、詰め込むことより余白をつくることを意識した方がいいんじゃないだろうか。これはもうみんなナチュラルにやってること?私が気づいてなかっただけなのかな。

だって、そう言うのは簡単だけれど、実際にやろうとしたらすごく難しい。

余白、余韻、余裕。余ったところに本質があるのかな。70%くらいの容量が一番いいのかも、という気もする。

う~ん、ちょっとまとまらないけれど、とりあえず思考を書き出したかったんですよね。

これから地区の草刈りがあるので(笑)、今日はここまで。

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