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【連載】東京アビシニアン(11)Jiyugaoka

 周音アマネの待ち伏せ作戦が始まってもう二週間になる。この頃は二階のベランダに近くに暗幕を張り、隠しカメラを稼働させつつ、自分は夜な夜な怪しい箇所へ潜伏しに出掛ける。昭和の刑事ドラマじゃないけれど、それこそ餡パン片手に目ぼしいと思われる店舗の裏口に待ち構えるなんてこともあった。おかげで、周音の生活は完全に昼夜逆転していた。
 僕はといえば良くも悪くも、いつも通りの生活を遂行していたけれど、陰ながらそのスリルのおこぼれにあずかっていた。二階の角部屋にある仕事スペースから伸びをして、周音の様子をうかがうたび、普段の僕とは無縁なビビッドな緊張感が匂う。プログラマーの仕事は冷静沈着にに最短回路の在処ありかを探る、職人じみた商売だ。試行錯誤の成果があらわれた時は満足感もあるけれど、きっと周音が喉から手が出るほど欲しがっている、超新星のような快挙とは別の次元だ。周音はスポットライトに視界が眩むような、比類ない成功を夢見ていた。いまは裸足でも、全霊をかけて跳べば黄金を鷲掴みできると疑わない彼女に、現実路線の僕も少なからず影響を受けていた。
 その日僕は、半日かけて組んだアルゴリズムをようやく試行にかける間、昼食用の根菜豚汁を煮込んでいた。そこへ周音が帰って来た。建付けの悪い玄関ドアを、開けるのもやっとといった困憊の風貌だった。
「お疲れさま。昨日も徹夜?」
「そう。それでもって、収穫はなし」
「残念」
 周音は手を洗うなり、冷蔵庫から牛乳を取り出してレンジで温めた。両目の下に怨念みたいに張り付いた一組の隈を、力を込めたまばたきでもみ消すようにしてから、肩を寒々しくすくめてホットミルクを啜る。
「少し、休んだら?」
「うん……」
 周音は食卓にへたり込んで、おばあさんじみた仕草で両手に包んだミルクを少しずつ飲んでは置き、飲んでは置き、
「慶介、率直な考えを聞かせて。この怪盗、追う価値あると思う?」
「どうしたの急に」
 周音がいつになく思いつめた顔をしているのに気づいて、僕は耐用年数を超えた轟音で稼働する換気扇をいったん止めた。念のためコンロの火も消したが、湯気がすでに立っている。白味噌の味が具材に染みとおった、深みのある香りが台所に満ちた。
 根菜豚汁と麦ごはん、自家製のキュウリぬか漬け。お昼ご飯を周音の前に並べ、僕もダイニングテーブルの向かいに腰かけた。
「これまで、何本か怪盗アビシニアンの事件に関する記事を書いてきた。もちろん、大手メディアも次第に盛り上がって来たけど、第一報をかましたのはあたしだからね。最初は自信たっぷりだったし、こんなに魅力的な、報われる事件はないと思ったんだ」
「報われるって?」
「書き甲斐があるってこと。それに謎が解けた時の達成感や報酬も存分に期待できるって、そう言う意味。でも最近になって、あたしの中の犯人像が揺らいできた。女性一人の窃盗犯、優雅なやり口で宝石類をくすね、戦利品はお金に換えようともしない。あらためて考えると不気味じゃない? 普通に考えたら、利益もないのに危ない橋を渡って連続強盗なんてする?」
「自己顕示欲だとしたら?」
「そうかもしれない。それならあたしは犯人の快楽に一役買ってるってことだよ。不本意だし、踊らされてるんだとすれば馬鹿を見てるのはあたしの方」
「そうかもしれない。でもどんな報道だって諸刃の剣だ、周音の記事に限ったことじゃない。もし反対に、犯人がこれだけ手の込んだトリックを仕掛けたうえで何かに気づいてほしいんだとしたら? もし、心の底では悪事を反省して、盗みを繰り返してしまう自分を止めるために捕まりたいのだとしたら? 可能性はいくらでもあるよ。いずれにしても相手は頭の切れるやつだ、通り一遍の論理や筋道では正体に辿りつけないんだろう」
 周音はゴボウを挟んだ箸を空中に停止させ、僕の方を見た。
「普通の人の考えを超えた推理が必要だってこと?」
 僕は曖昧に頷いた。
「よくわからないけどね。今まで誰も成し得なかった連続強盗を働いてる怪盗なんだ、一般人が判例から簡単に思いつく動機では足りないんだ、きっと。周音と怪盗の知恵比べだと思えばいいよ。怪盗や他の記者の予想のはるか上を行く、常識はずれの論理で崩して行けばいい」
 いつの間に僕は、こんなに血はたぎりつつ歯の浮くような応援文句を、サークル同期に掛けるようになってしまったのか。僕も黄金を夢見ているのかもしれなかった。黄金を手にした周音の肩を抱いて褒めたたえたいのかもしれなかった。
「それもそうね」
 豚汁を飲み終え、いくらか血色の回復した周音が、普段の飄々とした語り口を取り戻して微笑む。
「ごちそうさま。あたしももう少し頑張ってみるよ。でもその前に、一休み…」
 椅子の上で上体を逸らし、周音は大きな伸びをした。それから、心底ちからの抜けた頬で、
「4時くらいになったら、起こして」
「おう」
 と応じたところで、アルゴリズムのランが終わった動作音がパソコンから僕を呼んだ。

(つづく)

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