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【エッセイ風】想像力こんなもんじゃないぜ

 ライオンキングの実写版が全CGと知って、腑に落ちない思いがする。本物のライオンを出演させていたなら見ごたえがあっただろうに、まあ動物保護や安全性の観点から許されないのはわかるけれど。最新の映像技術を駆使したというシンデレラの実写版、これもいい気分がしない。CGやアクション技術の贅を尽くしたハイクオリティーファンタジーが、かえって残念に思えてしまうのは、わたしだけかな。実現の難しい限界も、一貫性のないストーリーも、想像力はやすやすと飛び越えてしまうのに、そのゆとりや超越観は力量をひけらかしたい技術の側が無理にねじ伏せているような。

 ジブリの宮崎駿監督が子供向けの本を紹介した「本へのとびら」という本を読んだ。ジブリ作品のアイデアの源ともなった作品や、監督自身が子供時代に楽しんで読んだ本がたくさん収録されていた。思い出のマーニー、ハウルの動く城、ゲド戦記の原作もある。そこでは想像力の無限のひろがりと、それを絵にしてしまうことで期待を下回ってしまうことへの危惧が綴られている。

もちろん、ヘンに描いたらつまらなくなってしまうものもあります。絵にすると、簡単につかまえられるから、絵描きの力量までしかたどりつけずに、お話だけの方がイメージがふくらむことも起こります。 「もののけ姫」なんかは僕でも、化け物を描くのにほんとうに困った。ほんとうにこれでいいんだろうかと思いながらずっとやっていたから、頭がおかしくなりました。おそろしいものを描こうとするときに、僕らの時代の人間にとって、結局最終的にいちばん大きな破壊は核兵器の爆発になるんですよ。それ以上のものは描けないんだけれど、でも「もののけ姫」で核兵器を描いたってしょうがないですからね。 『ゲド戦記』の竜もむずかしいですね。あの竜は、いろいろな作品の中でやっぱりいちばん描かれている竜だと思います。人間よりずっと古く、太古の生き物で、善と悪とかそういうものを超えていて、それが亡びてしまったら、星そのものが命の力を失うような、そう言う象徴ですね。僕はおろかにもまんまと作者の手にのって、竜がいなくなったらどうしよう、とドキドキしながら読みましたが(笑) じつは作者ル=グウィンのどうも映像としてはごく普通の竜なんですよ。しっぽが長くて、塔のようにそびえたつ、と書いてある。それはたいした高さじゃないな、と(笑)。面白くないんですよ、なんだか。だから形にしたくないんです。 なんでもかんでも描かなきゃいけないということでもないし、何でも描かないで想像させればいいって言うものでもない。分からないことっていっぱいあっていいんですね。同時に『星の王子さま』はあの絵がなかったら……。両方あるんですね。

宮崎駿「本へのとびら」

 ひとの、とりわけ子供の想像力はほんとうに再現がない。本のストーリーや表現から、画一的でなく、縛りのない自由な発想をするのに、中途半端なリアリティ、を目指した映像化は邪魔になってしまうかもしれない。それだけ、想像には重力という足枷がないということ。反対に、視覚化には実現可能性やコストパフォーマンス、「ふつうこういう絵にするよね」という思い込み・決めつけがどうしても介在してしまう。宮崎監督が「絵描きの力量」といったその制約はどんなに技術が発展しても付きまとう。どんなに手を尽くした最先端の加工を施したところで、想像力の無限のひろがりには、かなわないかもしれないのだ。

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