『魚服記』-太宰治

わからん


太宰治の作品は、正直一読しただけでは何が言いたいのか分からないものが多い。
それは私の無知ゆえなのか、時代と共に変わる文化ゆえなのか、もしくは別に何か言いたいことなんか、実はないのか。
読書経験の浅い私には判断しかねて、ひたすらに太宰治の本を読み、彼の生きた時代を調べました。

『魚服記』は、私が今でもまだ釈然としない要素の残る作品のひとつです。
太宰治は、作品内によく対比を登場させる印象があります。
『魚服記』においてそれを一番感じられる部分と言えば、大蛇と鮎でしょう。しかし、よく考えれば、伝承で大蛇になった男とスワの共通点は、はっきりとは分かりませんでした。

ただ、ひとつ仮説を見出すとすれば、欲望の具現化かもしれません。
八郎は魚めっちゃ食って、めっちゃ水飲みました。家族と分けるべきだった食料を食欲に負けて消費しました。この時、大蛇は食欲か、強欲的ななにかの象徴であるのかもしれません。
スワは父親に犯されて、小屋に帰りたくなかった。これは大蛇になったつもりのスワが明確にそう思ったと描かれている。鮎というのは、そんな自由のような何かの象徴であるのかもしれません。

他にも、これは対比と言うべきかは微妙ですが、スワと学生と八郎は、微妙に繋がりを感じさせています。
スワは学生が滝壺に吸い込まれていく場面に居合わせ、彼のことをたったひとりの友達と思います。鮎になったスワが苔をいじって少し考えた後に滝壺へ吸い込まれていったというのも、苔によって彼のことを思い出したことはその一因であるかもしれません。
八郎の伝承は、スワが父親から聞いた時だけでなく、滝壺から八郎の声をスワが聞いた部分でも、彼女に繋がります。
大蛇のつもりになったスワが滝壺へ吸い込まれていったことは、大蛇の、八郎の声を滝壺の中から聞いた経験がその一因であるかもしれません。

津軽マタギ

正直釈然としなかった。それから、滝の外観を想像し難かったので、少し調べました。
津軽。太宰治が実際に訪れたことがあったはずだと記憶しています。実際のモデルとなったと思われる滝はいくつか候補があり、作中の滝とそれぞれ部分的に似ている要素があるらしい。だがこれは、私にはよく理解できる気がする。それぞれの滝からインスピレーションを得たのかなと思える。
その地域を調べていると、興味深い情報がどんどん出てきました。

津軽マタギ、秋田マタギ。マタギというのは要するに、その地方で昔から狩猟をしていた人達の総称です。彼らにはいくつかの伝承がありました。
おそらく代表的でありそうなものは、12人のマタギ達が狩猟のため滝を降りる。先頭のひとりが降りると下から「いいぞ」と声が。ふたりめが降りると下から「いいぞ」と声が。ただ最後のひとりが降りた時、滝つぼで浮かぶ11体の死体が見えた。と。この伝承によって、12を忌み数だとするマタギもいるそうです(地域差はある)。

そして、マタギには多くの禁忌もまたあるそうです。中でも多くのマタギに共通する事柄は、山の恵みを取りすぎないこと。だそうです。狩猟採集する時も、必ず必要な量だけ自然の恵みを享受し、生態系を崩さないこと。また、山やその水を汚さないこと。
彼らは山の神に関する考えを沢山持っています。味噌というのは栄養価が高く、焼くととても美味そうなので、これを人間は神の前で安易に食してはいけないと。そんなものもあるそうです。
禁忌や伝承以外では、女人に関するものもあります。13歳で既に少女から女性となり、15歳ではもう一人前の女として扱われるようです。

結局わからん

さて、太宰治は津軽を訪れ、マタギを知り、その伝承や禁忌を知った。それが『魚服記』を構成する因子であるのは間違いなさそうだ。
学生は、必要以上に自然を享受するという禁忌を犯しているし、八郎もまた、そうだと言えそうです。
天狗とか、謎の声や気配とかも、山の神の意思表示だと思えそうだし、スワもそんときちょうど焼いた味噌食っていた。
スワの年齢が言及されたふたつの場面で、それはちょうど13歳と15歳だったので、父親がスワへ欲情していたとしても、マタギの人間として矛盾はないかもしれない。

でも、じゃあなんで大蛇?じゃあなんで鮎?てか学生はなんでそのまま死んだ?
マタギの禁忌に、女には触らない、なんてものもある地域はあるけど、レイプは山の神的にはokだった?
その滝と滝壺の意味は?

まだマタギの全貌が掴みきれてなくて、知識不足で、もどかしい。
インターネットで情報を集めても、その場所か、もしくは私の能力に限界があるかもしれない。
いつか太宰治と同じように津軽を訪れてみたい。

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