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島崎藤村とイ◯スタ映え

夏の暑い日,日本三大車窓姨捨駅にて

『木曾路はすべて山の中である.あるところは岨づたいに行く崖の道であり,あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり,あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である.一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた』

島崎藤村の小説【夜明け前】の序文です. 

いざ木曽路を通ってみると本当コレだって感動しました.後述している自然主義文学そのものだなと思います.
7月に関西から帰宅する際,静岡を通って帰京するのに飽きたので長野経由で帰ってみたところ木曽路を通る事になりました.

中津川駅の石碑を見て気が付きました.

朝ドラ『半分青い』に便乗したソフトクリームを売っていました,他には栗金団の名産地だそうです.

夜明け前では江戸の世が終わり,明治へと移行する際の世の中を藤村の父の体験を通じて書いています.この過渡期を夜明け前と表現するのは絶妙な感じがしますね.

身近な所ですと今でも国内外問わず人気な【るろうに剣心】のOPの1つ『HEART OF SWORD ~夜明け前~ 』にも使われています.

作詞の井上秋緒さんの言い回しにセンスを感じます.タイトルも小説から取ったのでしょうか.

筋肉隆々になる前の西川アニキの声量でTMRをスターダムにのし上げた曲になりました.

島崎藤村は初期は故郷の事を中心としたポエマーで,ロマン主義のそれでした.

子供の頃無理やり押し付けられた七田式教育の音読文の中に『千曲川のスケッチ』があったような気がするけど全く内容は覚えていません.

それを除くと彼の作品で最初に読んだのは小説の『破戒』でした.きっかけは浪人中で暇だったのか自分に酔っていたのか教科書に載っているような名作は読んでおこうという心持ちで読みました(こうやって本流の勉強以外の事に手を出したくなるんですよ,あと大学入ったら役立ちそうなスキルつけようとしたりして直前期に思いっきり後悔します)夏目漱石が絶賛したと言うからどれどれと言う感じだったのですが教養のカケラも無かった私にはピンと来ませんでした,深く言うつもりもないですけど強いて言うなら東日本に育ってるからでしょうか.時代もあると思いますが…

閑話休題,島崎藤村は小説を書くようになってからはロマン主義ではなく, 自然の事実を観察して真実を描く事に重きを置いてあらゆる美化を否定するスタイルの自然主義文学の代表的な作家の1人になります.要するに“イ◯ンスタバエ”とかを許さない人たちです.

小説は売れたようなのですが,相次いで娘が亡くなったり悲劇の人生をおくります.

これだけ見ると大変だったのに小説を出し続けた偉い人みたいな感じがするんですが,明治期の作家さんは一癖も二癖もある連中が多く(偏見)藤村も例に漏れずソレで40歳前後の時だったか お手伝いに来ていた20歳くらいの兄の子(姪)とイイ関係になって妊娠させます🤰🏻

まぁ次々子供を亡くしたりしているので絶望の淵に立つと100歩譲って不倫する事もあるのかなと思ったりしたのですが,藤村はアレコレ葛藤した挙句姪を放っておいてフランスに放浪しにいくんですよね.

詩人の街パリに行ったらWW1勃発待った無しの状況だったので田舎にいたらしい.帰ってきたらシレ〜っと慶大に就職したりしてまた姪と不倫関係を継続させます(クズ?)

この不倫関係のことを今だったら文春砲か何かで暴露されそうなんですが何を思ったか藤村は『新生』と言う小説で自らカミングアウトします.そしたら兄と仲悪くなったらしい(そりゃあそうだ)

このカミングアウトを芥川龍之介は糾弾し,「老獪な偽善」と書いたりしました.

何かと思い悩んで命を絶つ明治期の作家の中でも女を巻き込んで入水を図る太宰らと違って睡眠薬をoverdoseした芥川は割と誠実な男だったのかも.

と、このように中央本線の名古屋から長野までは木曾川とアルプスに囲まれた素晴らしい景色が見られて退屈しません.

何時間でも電車に乗れるよ!

という気概のある方は是非.

長野駅から出ている私鉄に長野鉄道なるものがあるのですが,そこで昔田園都市線に使われていた車輌を見ました.

他にもつくばエクスプレスや小田急ロマンスカー、営団地下鉄の車輌なんかも譲渡されて走っているらしくそういう系のマニアに人気なんだとか.
長野駅に停まる姿はまるでいつもの渋谷駅にいるようでした.

調べたら俺が見た田園都市線の車輌がここに譲渡されたのは2005年らしい.鉄道の趣味がある訳では無いのですが,俺が日能研に通っていた時に乗っていたかも知れない車輌だと思うと遠く長野で出会えたことはなんだか感慨深かった.途中下車した朝陽駅は大正時代の木造建築の駅でしめじやエリンギが売られていて面白かったです

木曽路は中山道にあたる.俺はこの日琵琶湖のほとりから朝早くに出発し日付が変わる直前までかかって神奈川へ帰ったが,新撰組の人を始めそう遠くない昔の人はこのルートを徒歩で京と江戸を行き来した.新撰組の人は12日で走破したらしい.1日40km前後を連日繰り返す.人間の限界はどこにあるのだろうか.

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