127 雑誌(メディア)は特別な存在か?
スキャンダルで儲けている?
私が育った昭和の時代、メディアはいまに比べれば、ある意味、暴力的だった。多くの人が紙媒体を求めていたこともあって、あることないこと書いても構わない状況が生じていた。よく言えば群雄割拠。悪く言えばカオス。その中から質を重視したメディアが残っていったはずだった。
つまり、「売れればいい」といった安直な発想でスキャンダルであるとか興味本位の内容を追求し続けた媒体は廃れ、良心的でまっとうなメディアだけが平成、令和へと時代を越えて生き残ったのである、と断言できるかどうかは、私は少し疑問だ。それは、良心的で質を重視したメディアも残らなかったからである。
営利企業による紙媒体の発行は、どれだけクオリティを重視したところで、経営が成り立たなければ潰れる。
ミニコミのような、ある人が私財を投じて営利は二の次で経営していれば残れるかもしれないけれど、いわゆる持続できる経営ではない。その人が亡くなれば終わるからだ。
最近、よく見受けるのは、誰か著名人を叩くことによって、売り上げを伸ばし利益を上げている媒体への怨嗟というか、存在意義を問うような意見である。
しかし、実はいまどれほど立派なことを言っている媒体であろうと、これまでの歴史の中では何度も何度も、それこそ数え切れないほど叩かれて来たのである。メディアは批判されていい存在だからだ。
私が思うのは、メディアはどれほど批判されても構わない。そういう意味では特別の存在である。名誉毀損でメディアを訴える個人・団体が存在するのは理解できる。だが、メディアが個人・団体を名誉毀損で訴えることは、支持できない。私は、メディアはそういう意味で特殊な存在だと解釈している。
そしてもちろん、批判の中には、「そんなことで儲けてるのはおかしい」も含まれる。
メディアが足りない
それよりも私が危惧するのは、そうしたメディアそのものが足りていないことかもしれない。確かかなり昔の話で記憶は曖昧なのだけれど、レコード針の会社とか蛍光灯の製造メーカーは、需要が極端に減少してライバルがすべて撤退してしまった結果、少ないながらもほぼ独占状態になった。独占すれば価格決定権を得られるので、売り上げ規模は少ないとしても利益は確保できる可能性が出てくる。しかも市場が小さいので新規参入がしづらい。
いま、多くのメディアが、これと同じ状況になろうとしている気がしてならない。
確かにいまも書店へ行けば、多数の雑誌が売られている。その光景は昭和の頃とあまり変わらないようにも見える。だが、決定的に違うのは、「創刊」が少ない点だろう。
いまから紙媒体をやるのは、リスキーだと考える人が多い。大手の出版社による創刊はいまもたまに起きているけれど、それはいわばスクラップ・アンド・ビルドで、媒体を複数持っている大手だからできることだ。簡単にいえば3誌を潰して1誌創刊みたいなことだろう。
これだけ、メディアの勢いが低下している時代はこれまでなかった。
それだけに、「スキャンダルで儲けている批判」はとても、私には違和感がある。見ていると、ひとつのスキャンダルが出ると、それを後追いあるいは丸々コピーしているメディアの方が圧倒的に多く、独自に対抗するメディアが存在しない。
楽しみな雑誌
この令和の時代に、メディアはさらに苦しい状況に置かれる可能性が高いので、そこで紙媒体で利益を出せているとすれば、独占とまではいかないが寡占状態にあるからこそのことであって、もしかすると、すでに余命が尽きようとしているのかもしれない。
なお、こういう私も、たまに雑誌を買うけれど、大半は「dマガジン」で足りている。「dマガジン」版の雑誌は店頭で販売されている雑誌とは編集が異なる。肝心のスクープや写真、グラビアは省かれていることが多い。それでも、私はそれで満足なので、「dマガジン」を愛読するのである。
サンデー毎日では、「校閲至極」や占いを読む。以前は書評があったのに、いまはそれもないので読むところが減ってしまった。
週刊現代は、「美鳳の週刊運気予報」「日本一の書評」井筒監督の「今週の映画監督」とトピックスの記事などを読む。
週刊新潮は、燃え殻の「それでも日々はつづくから」をとにかく真っ先に読む。ほかに横尾忠則「曖昧礼賛ときどきドンマイ」や吉田潮「TVふーん録」そしてブックス(書評)を見る。
週刊文春は、まず冒頭のグラビア。そして鈴木おさむ「最後のテレビ論」。林真理子「夜更けのなわとび」。実は林真理子の本は一冊も読んだことがなく、このコラムしか読んでいない。まさか日大の理事長になるとは思わなかったけれど。宮藤官九郎「いまなんつった?」。漫画版「竜馬がゆく」も楽しい。「文春図書館」も。
このほか、週刊アスキー、月刊ムー、歴史ものの雑誌やムックもたまに。
要するに私は雑誌が好きなのである。
私の好きな雑誌はスクープやスキャンダルではない。しかし、この機能も、いずれ紙ではなくなっていくのだろう。
「そういえば、昔やよく芸能スキャンダルとか週刊誌がやっていたよね」
「週刊誌? なにそれ」
といった日が遠からず来る気がしてならない。