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84 ストーリーとファイト

ストリートファイトではなくて

 アニメの『鬼滅の刃』とか『呪術廻戦』を見てきたが、こうしたタイプの作品は、ストーリーとファイトが常に密着しているため、基本的にはトーナメント形式になっていく。
 もっとも強い者を決める仕組みとして定着しているトーナメント形式。ワールドカップサッカーは、予選では総当たりで勝ち点を競い、その先はトーナメントで勝ち上がっていく。高校野球は、地方予選からトーナメント形式である。試合数が無限にあるわけではないので、できるだけ少ない試合数でナンバーワンを決めるためにもこうした方式が定着しているのだろう。
 NFLでも、レギュラーシーズンが終わった段階での勝率で順位が決まり、地区優勝チームと優勝できなかったチームの中の勝率上位がプレイオフへ進みトーナメント形式でぶつかる。
 つまり、私たちの頭の中には、そうした仕組みがすっかり定着してしまっているため、あたかも、トーナメントがストーリーそのもののように受け止めてしまう。
 それが悪いということではないものの、敵と戦うときでさえ、最初からボスにぶつかることはなく、下っ端から当たっていき、ボスを倒すと、最後にラスボスが登場する、といったパターンを自然に描いてしまう。
 だが、こうすると、下から上がっていく人やチームは、最後まで隠れて待っているボスやラスボスに比べて、消耗が激しく、現実的ではない。
 大河ドラマ『どうする家康』で大坂冬の陣、夏の陣を描いているのだが、冬の陣で真田丸に手を焼いた家康は、輸入した大砲でいきなり天守閣を狙う。損害を減らし、時間のロスを減らすためにいきなり「王手」をかけていく。
 思わず豊臣側から「卑怯だ」との声が漏れるのだが、どっちがどう卑怯なのかは、微妙であろう。ただ作戦の違いである。
 ストーリーとファイトを掛け合わせることで、エキサイティングなエンタメにしていくのは、いわば王道なのだろうけれど、それはいたずらに時間のロスになりかねず、これは結果論になるのだが「人気作品」にしか許されないことだとも言える。
 漫画連載時に、すでに人気度合いは測られているので、人気がなければ打ち切りになるから、どれだけすごいラスボスを考えていたところで、そこまで到達しない場合もあるだろう。一方、とんでもなく人気のある原作漫画は、連載数をできるだけ増やしたいわけだから、場合によっては「これがラスボス」と思ったら、さらにその上にとんでもない敵が現われたりもする。いつまで戦っても終わらない。
 結局、こういう話になっていくのは「欲望」のなせる技だ。

欲望がストーリーを左右する

 ボクサーが勝利してファイトマネーを得る、チャンピオンになって大金持ちになる、といった夢を追うとき、もっともダメージの少なく効率的な戦い方があるはずだ。ただし、そんな理想の展開は別の要素によって邪魔をされることになる。
 昔、カンフー映画が流行した頃、なぜ、敵の多くがカンフーの達人なのか、と私は疑問を感じた。理由は簡単で、最後に主人公(カンフーの達人)とカンフーで戦わなければならないので、敵もカンフーの達人でなければ成立しないのである。だが、現実には、カンフーの達人の敵は、まったくカンフーを知らない場合の方が多いはずだ。
 ところが、ここでは見る側の欲望によって、ストーリーは左右されてしまうのである。
 高校野球がはじまってトーナメント表を見て、決勝戦を予測する人がいる。戦力分析から綿密に予想する人もいるだろうが、大多数は希望的な観測で「こことここの決勝が見たい」と予測というよりも願望を述べることが多いのではないだろうか。
 ベスト8、ベスト4ぐらいになってきて、見る側の欲望のストーリーが崩れてしまったとき、それを上回るおもしろさになるかどうかが、現実のスポーツでは問われることになる。無名のチームが残っていて、そこにシンデレラストーリーを追加するもよし、かつての名門チームが残っていて、リベンジのストーリーを追加するのもいいけれど、あくまで、見る側の欲望によって、そうしたストーリーは描かれていく。

武将はみなイケメンでお姫様は美女か?

 ドラマ(実写化)で起きる現象としては、ストーリーにのせるキャラクターに美男美女が大多数登場することだ。もっともイケてない役であってさえ、素顔はかなり二枚目な、あるいは美しい俳優が選ばれることが多い。
 これもまた、欲望のなさる技としか言いようがない。
 そもそもキャスティングするときに、芸能界にいる人たちから選ぶとなると、たいがい美男美女なのである。そもそも、そういう人しか生き残れない世界だから、パッとしない人たちばかりが登場するドラマは、まずない。作ったとしても、なかなか見られないかもしれないけど、たまに知らない国で作られた映画を見ると、こちらにすり込まれているパターンを完全にぶっ壊すような役者が大挙して活躍することもある。
 それはこちらの欲望と、その国の大多数の人が感じている欲望には違いがあるからだ。海外で人気の役者が必ずしも、日本で受けるとは限らない。
 もっとも、ストーリーは、本当に伝えたいこと、表現したいことを隠すために使われているものだから、それでいいのだと言えなくもない。美男美女たちがトーナメント制でファイトする中に、どういう隠されたテーマをうまく埋め込むか。見る側の欲望に素直に答えながら、こちらの伝えたいことを盛り込んでいければいい。きっと、そういうことなのだろう。
 
 

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