158 なにも考えていなかった過去の自分
月に10冊以上読んでいた
荷物を整理していたら、古いノートが出て来た。読んだ本の感想を書き殴ったものが3冊。見た映画のことを書いたノートが2冊。NFLのことを書いたノートが2冊。いずれも80年代の一時期のものだ。
自分では、本を読む速度がとても遅くて、月に2冊とか3冊読めればいいと思い込んでいたのに、当時は、月に10冊以上読んでいることがわかった。安部公房、開高健のほか、ミステリー、ホラー、冒険小説を、それこそ片っ端から、和洋問わず読み漁っていた時期があったのだ。
どういうわけか、この時期のことはあまり記憶にないし、映画もやたら見に行っていて驚くのだけど、社会人になって自分の給料から自由に使えるお金がある喜びからだろうか。
読んでみると、「確かにそうだったかな」と思う一方で、「これが、おれか?」と思ったりもする。
過去の自分はいまの自分とちゃんとシームレスにつながっているはずだ。しかし、こうして断片的な過去と向き合うと、どうもちゃんとつながっていないようなのだ。ぶつ切り感がある。
笑ってしまうのは、そのノートの文面が、いまこうして書いているnoteとあまり変わらないのだ。
ぜんぜん、進歩してねえ!
いや、むしろ退化しているかもしれない。
それにしても、あの頃にどうしてこんなに夢中になっていたのだろうと自分ながら不思議になってしまう。それがまあ、若さなのだろう。これだけの情熱があればもっと他のことに活かせばよかったじゃないか。いや、それはいまの私にも言えることで、なんでこんなにnoteを情熱的に書き続けているのか、自分でもよくわからないのである。
そういえば、人生の戦略みたいなもの、一度も、ちゃんと考えたことがなかったなあ。
いまの若い人たちは、みな戦略を立ててるんでしょ? 人生攻略のために、いますべきことはなにか。そんなことを考えているんでしょ? そして実行しようとしている。
それとも、すっかり忘れてしまったけれど、当時は自分なりに戦略を立ててやっていたのだろうか。いつ、その戦略を放棄したのだろう。
いまだって大して考えていない
では、いまはどうか。
新型NISAの話みたいに、「将来に備えて」なにかをする話では、基本的に戦略が重要になってくる。私の知るところでは、ドルコスト平均法による長期投資こそが最強なのだけれど、それでも、投資額とタイミングによって結果は大きく変化してしまう。
つまり、どんな戦略を立ててみたところで、「時の運」に見放されるとうまくはいかない。では、時の運を味方にするにはどうすればいいのか。
それがわかれば誰も苦労はしないのである。
生まれたタイミングによって、各自、時の運の捉え方は変わる。だから、「買う」人がいて「売る」人がいる。市場経済はそうして成り立っている。
市場経済は、不平等である。チャンスは均等にあるように見えるけど、実はそうではない。いま株価は高くなっていて、ニュースで騒いでいるけれど、バブルの頃だって自分たちの実感を遙かに超えて株価は高かった。その高い時にたまたま退職金が入って、それでNTT株を買った人の中には、大きく利益を上げた人もいただろうけれど、損した人もいたはずである。
また、投資金額によって利益には大きな差が出る。いつどこでどれだけの金額を投資するかは、重要な決断であるけれど、個々の事情によって制約を受けるから、実は思ったように投資できるとは限らないのだ。
たとえば、1000万円投資してうまく運用でき、倍の2000万円になったとする。元の1000万円を別のより安全な投資に移して、儲かった1000万円を再投資する(税金をたくさん引かれているから実際はそうもいかないけど)。同じ倍になった人でも、10万円を投資したなら20万円である。次のチャレンジに20万円全額を使うことになるだろうから、痛手をくらったときにはマイナスになりやすい。
この差は、個人の力だけではどうにもならない。
戦略を立てるにしても、他力をどう活かすかよく考えておかないと、実はうまくいかない。「他人をあてにするな!」と怒る人もいるかもしれないが、商売にしても買ってくれるお客がいてはじめて成立するので、お客は「他人」である。他力を使っていければ、レバレッジが効く。そして、そこに大きな落とし穴もあるわけだけど。成功したときのリターンは大きい。
違法ではあるが「ネズミ講」はよく出来た詐欺システムで、まさにこの他人によるレバレッジを最大にしようとしている。ただあっという間に破綻してしまう構造なので、違法というだけではなく根本的にまったくお勧めできないけれど。
さて、じゃあ、どんな戦略を立てればいいのだろう。
そもそも戦略を立てていない人間であるから、とても私にはそれに答えられる力はない。誰かに考えてもらおう。他力本願である。
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