284 カライアピーって何?
『何かが道をやってくる』を読んでいて
『何かが道をやってくる』(レイ・ブラッドベリ著 大久保康雄訳)をのんびり読んでいる。もうすうぐ3分の1ぐらいになる。まだまだだ。
この作品には、「カライアピー」というものが登場する。なんだ、カライアピー。あれだろうな、とは思う。映画などでアメリカのサーカスや移動遊園地の場面でつきものの、パイプオルガンみたいなやつ。
ということで、検索してみたが、カライアピーではズバリ、引っかからない。蒸気オルガンで検索し、とうとう「カリオペ」にたどり着いた。スチームオルガンとかスチームピアノとか、メーカーのつけた商品名としての「カリアフォン」といった名称が登場してくる。
作品の主題ではないし、読んでいればそれがどういうものかだいたい想像できるけれど、そのまま検索してもズバッと出てこないのは、なかなかにおもしろいことだ。
まさにファンタジーの世界ではないか。
先にリンクをつけた「カリオペ」の説明には、ブルース・スプリングスティーン、ビートルズ、スモーキーロビンソン&ザミラクルズの「The Tears of a Clown」などなど、さまざまなアーティストが意図的にサウンドに取り入れようとしていることも記されていて興味深い。
これほど米国では馴染みのある音なのに、日本ではどうだろう。私は実物を見たことがないが、ディズニーランドにはあるのだろうか? 残念ながらよくわからない。
翻訳って大変だよね
たとえば、こうした楽器の名称を日本語表記するとき、日本語のスタンダードな表記が存在しない場合、翻訳の人は苦労されていることだろう。
これも昔の話だが、ある会合で誰かが「日本の翻訳本は誤訳ばかりでとても読めたものではない!」と豪語していて、私は思わず「ふざけるな!」とケンカになって以来、その人とは二度と会っていないんだけど、あの頃は若かったなあ。そういう問題じゃないか。ケンカはいけません。
訳している人たちの苦労も知らず「誤訳だらけ」と豪語する態度が気に入らなかっただけなんだけどね。じゃあ、おまえは正しい日本語を使っているのか、と言いたい。誰だって間違いはある。
確かに、私は翻訳の限界があることもわかる。最初に手にしたスティーブン・キングの「キャリー」の文庫版(1985年)。出たらすぐに買って読んだ。プロムのパーティーで演奏される曲名が、原題の直訳となっていて、どの曲も別に「邦題」があって知られていたヒット曲なのに、と残念に思った。もちろんすぐに改訂されていたと思う。サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」の原題は「Bridge over Troubled Water」なのでそれを確か「濁流にかかる橋」といった感じで訳していたと思う。「雨に濡れても」は「Raindrops Keep Fallin' on My Head」で、私はバカラックのファンだからすぐわかる。直訳すると「雨粒がぼくの頭に落ち続ける」みたいになるだろうから。
この「邦題」がクセ者で、音楽はもちろん映画はほぼ日本でタイトルをつけていた。そのため、インターネット時代になった頃、海外の映画情報をチェックするときに原題がわからずとても苦労した記憶がある。確か「ぴあ」で出していた映画の索引のようなムックだったり日本で公開された映画の記録をまとめた本などにあたってチェックするしかない。としても、邦題から原題へは辿れるけれど、その逆はほぼ絶望的だった。
映画『第三の男』がThe Third Manというように、たいがいの映画は邦題になっても原題とのつながりを感じやすくなっているのでほぼ問題はないのだけど(最近の作品は原題をカタカナにするだけみたいなのも多いし)、80年代から90年代にかけてはネット情報も乏しくて、「この人はいったい、なんの映画を見たんだろう」と思うこともしばしばだった。
いまはネット検索で辿れないことはほとんどないので、そうした謎はあまり生じないけれど、「カライアピー」は久しぶりにそれに近いものを感じた。本を読んで「未知」と遭遇することほど、おもしろいことはない。
ちなみみ、映画「未知との遭遇」の原題は、Close Encounters of the Third Kindだ。直訳すると「第三種接近遭遇」である。漢字ばっかりだ。これを「未知との遭遇」としたのは、なかなかのものだと思う。
『何かが道をやってくる』の原題は「Something wicked this way comes」で直訳すると「なにか邪悪ものがこっちにやってくる」となる。