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51 二種類の夢

睡眠中に見る夢と自分で描く夢

 「夢」といっても、二種類ある。睡眠中に見る夢と、自分で描く夢だ。前者は、ほとんど覚えていない、あるいはすぐに忘れてしまう「たわいもないもの」だったり「よくわからないもの」だ。後者は漠然と「こうなったらいいな」とか「ああなりたいな」といったものから、ステップを具体的に描いたものまでさまざまである。後者の夢は「希望」とか「目標」と置き換えてもいいかもしれない。
 企業はビジョンを掲げるが、これは夢である。なぜなら、抽象的で具体性は乏しいからだ。それでも、ビジョンがないよりは、あった方がいいと言われている。ビジョンを共有し、そこから毎日の仕事に結びつけていくのだ、とあるコンサルタントが言っていた。
 ただ、私の直感に過ぎないけれど、ビジョンは、達成できないぐらい難しいものが選ばれているだろう。すぐ達成できるビジョンは、ビジョンではない、とされてしまうから。ビジョンは簡単には達成できないし、変えられない。「見果てぬ夢」なのである。
「清く正しく美しく」は目標ではなくビジョンではないか。「そうだったらいいな」「そう見えたらいいな」ということで、それが実は苦しみの原点になっていたりもする。実現できないことを掲げてしまうのは、けっこう、罪深いような気がする。
 それはむしろ「夢」と表現しておいた方がいいのではないか。
「一緒に同じ夢を見よう」とこっぱずかしいセリフがいま浮かんだけれど、口にする方も耳にする方も、耳まで真っ赤になってしまいそうだけど、ビジョンって要するにそういう面があるんじゃないか、と私は思う。
 ビジョンは知っている、わかっている、けど真正面から論じるのはこっぱずかしいに違いない。あるいは、もし真正面から論じている集団があったとしたら、周囲から見ると異様な人たちに見えてしまう可能性もある。
 夢を語る行為は、どこかキモさがある。薄気味悪さを伴う。
 同床異夢、と言われるけど、個々に別の夢を見る方が自然ではないだろうか。

夢も希望もない

 1960年代にテレビを見ていた人なら知っているかもしれない当時の流行語に「夢も希望もない」がある。正確には「ユメもチボーもない」である。希望をチボーと読むのは、訛っているからである。栃木出身の芸人、東京ぼん太から生まれた流行語だ。いま、栃木訛りの芸人といえば「U字工事」であるが、その遙か昔に栃木訛りで売れた芸人がいたのだ。残念ながら賭博容疑で逮捕されてしまい長い謹慎の間に人気は翳り、復帰したものの胃癌で47歳で亡くなっている。
 皮肉にも、夢も希望もない結末を迎えてしまうわけだが……。
 夢や希望を持ちなさい、と「諭す」人たちが1960年代には多かったのだろう。60年代といえばキング牧師の有名な演説「I Have a Dream」がある。
 夢は、誰かの希望になることがある。それが誰かの悪夢を生み出す可能性もある。 
「これからは君たちの時代だ」みたいなセリフを、私も耳にしたことがある。
 いま振り返っても、私の時代はまだ来ていない。
 その意味では、いまこそ、私は「これからは君たちの時代だ」と言いたいけれども、甚だしく無責任な気がしてしまう。「こんな時代に誰がした」と誹られても反論できない。「私ではない」とは言えるけれど、無関係だったとは言いにくい。
 自分で描く夢、希望は、このように、自分の中にあるものから生まれて来ると同時に、社会からの軋轢に揉まれる運命にある。横槍だけじゃなく縦槍だって突き通る。穴だらけのボロボロにされる。こうなると自分でも分からなくなって、破棄することにもなる。
 ある意味、その儚さ、脆さ、いかがわしさは、夢にとって大切な要素だと思う。「はかなさ」つまり「儚」という漢字は「人」と「夢」の組み合わせだ。そもそも、夢とはそういう軽さがあっていい。夢を重くし過ぎない方がいい。

夢を見る幸せ

 睡眠中に見る夢は、その点、無責任でいい。悪夢もあるかもしれないが、それも含めておもしろい。きっと、おもしろいはずだ。たいがい、目覚めると忘れてしまうので、はっきり確認はできないのだが、人間は眠るたびに夢を見ているらしいから、飽きのこないコンテンツになっているのだろう。
 毎日見ているのだから、幸せな夢を見たことだってあるだろう。「マッチ売りの少女」ではないが、マッチの火の中に幸せな夢が浮かんだとしても、いいではないか。目が覚めるまでの瞬間に、なんだかよくわからない夢を見てもいい。
 夢を見ることそのものが幸せであって、自分が幸せになっている夢を見なくてもいい気もする。
「また夢になるといけねえ」は、落語「芝浜」の下げである。有名すぎるほど有名だ。生きているうちは夢を見る。そして、儚さを楽しむのである。
 

 
 


 


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