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57 小説「ライフタイム」 3 理由

清張みたい

「それって、清張みたいだよね、松本清張」
 窓の外には、最近話題になっている宅配便の本社と車庫が見えている。銀座の外れにある会社のビルからは、そこの忙しさがよく見えた。
 編集部には新聞に二班、そしてぼくが所属する特別班の三組が存在していた。編集長は一班のデスクであり、二班のデスクは副編集長と呼ばれていた。この会社に潜り込んだとき、梅宮という巨大な男が編集長だったのだが、なにか大きな失敗をして副編集長に降格されてしまい、いまは「まこさん」こと藤枝眞子が編集長となっていた。
 いわゆる豪傑で、世の中を斜めに見ており、舌鋒も鋭く、業界にもファンが多い。
 たまたま来客があるからと出張校正を抜けてきたときに、ぼくはフジワラのことを軽く質問してみたのだ。
 彼女はすぐに反応し、「ジャーナリストみたいな仕事をしている人が、消えるって、なにか大きな事件に巻き込まれたと想像するよね。松本清張の影響だよね」と言う。「だけど、たぶん、なんにもないって」
「え?」
「フジワラってさ、ここに少しいただろ? いい加減な男だったから、ぜんぜん信用できない。たぶん、仕事で失敗したんだろ」
 プカーと豪快にタバコをふかす。彼女は酒も強く、男たちがみんな酔い潰れても平気で歩いて帰る。というよりも、男たちを酔い潰すのが趣味だ。
「そのうち、きっと戻ってくる。そうそう、彼女、ここに来たんだって? どうだった? 相変わらず可愛かった?」
「はあ」
 来客が来て、藤枝は応接室のある七階へ階段を上がっていった。
 このビルの最上階、七階は立派な応接室と役員室があった。編集部は六階と五階にある。六階は簡素な応接室と総務経理、ぼくたち特集班。五階は新聞の編集たちがいる。四階から下は広告制作会社が入っていた。大手の代理店が近くにあったので、この界隈は広告関係の会社が多い。一階は居酒屋だ。四時過ぎあたりから、焼き鳥のいい香りが漂う。

ワープロとPC

 ぼくは唯一のワープロで原稿を書く人間だった。個人用のワープロはまだ出たばかりで、液晶画面は実質一行しか表示されない。三行表示ながら、上は書式の情報、下は漢字変換の候補が並ぶ。その真ん中をにらんで、キーボードを使う。
 ここに中途採用されて最初のボーナスで個人で買ったのだ。家にはNECのPC-8001mkIIがあり、オモチャにしていた。それは前の会社で稼いだおカネで買ったものだが、なにかの役に立っていたわけではない。
 たまたま英文タイプに興味を持って高校時代にブラインドタッチができるようになっていから、ローマ字入力でキーボードを使えた。
 会社に許可を得て、悪筆のぼくはワープロを持ち込んだ。みんなは二百字詰めの原稿用紙に鉛筆で記事を書いていた。印字には専用のリボンカートリッジが必要だ。プリントアウトをデスクにあげて、見てもらう。
「ゲラみたいだから、完成している感じがして、赤字が入れにくい」と言われる。赤字と呼ばれているのは、いわゆる原稿整理の記号を赤ペンで入れること。フロッピーで入稿できるようになるのはまだ先のことで、ましてネットでデータ入稿できるようになるのはさらに先のことだが、もちろん、ぼくはいずれそうなると確信していた。
「お電話です」とカドクラさんの涼やかな声がし、電話機の四番が点滅しているので、ぼくはそれを押して受話器を取った。
「すみません、フジワラの」と女性の声がした。さきほど、来社したフジワラの奥さんからだった。
「お時間、いただけませんか? 場所はそちらのご都合のいいところへ伺いますから」
 チラッと、カドクラさんを見てしまう。彼女は寒がりで、席に戻るとカウチン模様のショールを羽織り、カラフルな膝掛けをしっかりと下半身にまとう。
 人妻と偽りながら、シングルマザーのカドクラさんは、妙に気になる存在で、それはぼくだけではなく、大多数の社員たちにとってモヤモヤする対象となっていた。それは、彼女には申し訳ないが、明らかに掃き溜めに鶴であり、女そのものがまるでギリシャ彫刻のようにこれみよがしにそこに存在していたからだろう。

人妻の影

 銀座にはいくつか有名な喫茶店があった。ひとつは、夕方になると銀座のクラブに勤める女性たちが待ち合わせに利用していることで知られていた。もうひとつは、「銀ブラ」の発祥となったと言われる喫茶店だ。そのほか、タバコが吸えて待ち合わせができる喫茶店は多数あって、歌舞伎座の裏にある喫茶店は、ジョン・レノンが訪れたことで知られていた。
 ビートルズのジョン・レノンが高級マンションを出たところで射殺されてすでに五年ほど経っていた。
 その店は、二階にあった。窓から有名な出版社が見えた。
「すみません、何度も」
「いえ」
 今ごろ、印刷のために出張している人たちは大忙しなのだろうが、ぼくはあとから行けばいいと踏んで、定時でタイムカードを押して社を出たのだった。タイムカードがあるものの、編集部は、形骸化していた。残業時間はデスクが勝手に一律でつけてくれる。いや、総務経理部はそのやり方をずっと反対していたのだが、まったく改善されないままなのだった。
「以前、あそこにいらしたんですね」とぼくは、聞かずにいられなかった。
「ええ。一年弱ですけど」と彼女は微笑んだ。「きっと、彼や私について、耳にされたんじゃないですか?」
「いえ、たいして」と妙な返事をする。ミタムラ専務から聞いたことを彼女に言えるはずがない。ただの悪口になってしまう。
 彼女はため息をつき、カップを持ち上げる。だが、口にはつけず、また戻した。
「聞いていただきたいことがありまして」
(つづく)

──この記事はフィクションです──
 
 
 

 

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