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160 自由、逸脱、安定

逸脱による不安定化に苛立つ

 世の中は、いつも同じ調子で進んでいるわけではない。あるときに、さまざまなことが同時多発的に起こり、そして大したことのない日々もある。大したことのない日は、微細な点を掘り返してあえてそれを大きくしようとしてみたりする。それでいて、なにか大きなことが起こると、たちまちそれは吹っ飛ばされて誰も顧みない。
 こうやってアドリブでなにかを書いていて、冒頭のフレーズに提示したいわばメロディーを、このあと繰り返すか、あるいは発展させるのだろうと期待させておきながら、こちらはアドリブなのでまったく違う方向へ逸脱していくのだ。
 逸脱と自由は違うと言われるかもしれないが、そもそも自由は不安定なもので、もしも安定した自由があるとするなら、それはもう自由じゃない。もっとも不安定にさせるのが、逸脱だとすると、「先生、○○君がうるさくて勉強になりません」と怒り出す生徒のように、逸脱した者を排除しなければ収まらない。
 それは、「いまは授業中だから」とか「いまは仕事中だから」とか「いまは国会中だから」といった、さまざまなカタにはめ込んで安定させようとする力へ抗うことである。
 こうした抵抗を「理由もないのに」とか「大した思想もないのに」と片付けたくなるのもわかるけれど、抵抗や逸脱は自由にやっていいじゃないか。それを「いまはメロディをやるところだから、勝手に変えないで!」と怒り出すみたいなところが、世の中の正論と言われるものだろう。
 たとえば、歩道に電動キックボードがすっと入ってくる。歩道に電動シニアカーがのんびりと入ってくる。それによって起こる、それまでのリズムからの逸脱に苛立つ人もいる。突然、走り出す人も、逸脱している。それぞれに「理由があればいい」と言えるだろうか。
 人の心に蓄積されていく不安定感は、やがてその人の心を平常ならざるものへと押しやろうとするだろう。そのとき「理由」でなんとか歯止めをかけようとするかもしれない。でも、理由なんてものが、本当になにかの役に立つのだろうか? 「正当な理由」がありさえすれば、いいのか?

安定したいんです

 楽したいんです。得したいんです。安定したいんです……とは吉高由里子はつぶやいていないけれど、多くの人はたぶん、安定を望んでいる。
 そもそも日銀は「2%程度のインフレ」を目指して量的緩和をやり続けて来たし、日本を取り巻く経済はそれ以上のインフレとなっていて、円安が放置されていることもあって海外からすると日本は年中バーゲンセール状態に見えるらしい。
 本来、中央銀行は通貨の安定、物価の安定を目指そうとする立場にあった。それをデフレから脱却するためにインフレへテコ入れするように長年、やってきた。変化を求めてやっていることなので、安定すればいい、わけではない。
 通貨について大きく振れると「急激な変化はダメ」と言い出す。しかし、時には急激な変化だってあるだろう。川の流れを見ていると、全体にゆったり流れているように見えても、部分的にはまったく流れていないところもあれば、かなり急激に流れているところもある。なんでもかんでも安定させることは、ムリな話である。
 私だって、安定したいんです。毎日、激しい変化が起こらないことを祈っているのです、と言いつつ、一方では劇的な変化への願望もあるはずだ。
 なにも起きないドラマより(それをドラマとは言いがたいけど)、五分に一度、あるいは三分に一度、「えっ!」となるようなドラマの方がおもしろく感じるに違いない。ジェットコースターだって、スタートするときはのんびりしていて、頂点に達するまではむしろゆっくりなのに、そこからとんでもないことが起こるわけで、もし頂点に到達したところで「はい、今日はここまでです」と下ろされたら、どう感じるだろう。
 口では「安定」を望みながら、同時に「とんでもない事態」への急展開を期待している。

独りよがりを続ける

 社会人になるとたいがい「独断専行」「独りよがり」「目立ちたがり」は排除されそうになる。だけど、自由に生きると、「独断専行」「独りよがり」「目立ちたがり」になっていくのではないだろうか。
「迷惑はかけてないから、いいじゃないか」と主張しようものなら「そういう態度が迷惑なんですよ」とか「目障りなんですよ」と言われるだろう。
 そして人間は安定を目指していようが逸脱していようが、なにかしら迷惑はかけるものである。安定を目指す人の迷惑は「しょうがない」と言われ、逸脱した人の迷惑は「けしからん」となるのである。
 もっともいま「けしからん!」と叫ぶ人はあまりいないとは思う。「ざけんなよ!」ぐらいだろうか。
 和を以て貴しとなす。美しい日本の美しい生き方。それは安定だろうか。千年続く安定が欲しいのだろうか。
 もちろん、こうやって話がどんどん逸れていけば、ちゃんとした結末には辿り着けず、もちろんオチもないのである。
 ジェットコースターを頂点で下ろされたような気分ではないだろうか。

夢の光景(途中)


 
 
 
 

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