見出し画像

孤高の天才 志磨遼平

 皆さんは志磨遼平という人物をご存じだろうか。2003年に結成された毛皮のマリーズ。2008年には、New York Dollsと共演し、2010年にはメジャーデビューを果たした。しかし、翌年に行われた自身初の武道館ライブを最後にバンドは解散した。

 その後、丸山康太(ギタリスト)・菅大智(ドラマー)・山中治雄(ベーシスト)を率いてドレスコーズを結成したが、初の日比谷野外音楽堂で行ったワンマン公演「ゴッドスピード・サマー・ヒッピーズ」を最後に志磨以外のバンドメンバーが脱退し、ドレスコーズはソロプロジェクトとなった。


 志磨遼平を知る人の中には、タイトルにあるように”孤高の天才”というイメージを持つ人も多いのではないかと思う。


 私が初めて志磨遼平を知ったのは、2020年の3月である。コロナ禍による緊急事態宣言が出されてすぐの頃だった。家の中でやることもなく、YouTubeを見続けていた日々に突如現れたのが、ドレスコーズの公式アカウントが公開していた【Tour 2015 “Don’t Trust Ryohei Shima”】のラストソング「愛に気をつけてね」だった。

 軽やかなピアノの音が鳴りだし、観客が手拍子を始める。志磨が観客に向け、こう言った「愛に、愛に、愛に気をつけてね!」と。そして、ドラムの合図と共に志磨が歌い始め、ベースやギターが重なり始める。

 徐々に会場のボルテージが上がる。サビで志磨はステージの中心、ミラーボールの下で観客に手を振る。観客もそれに応えようと必死に手を振っていた。

 そして、間奏へと突入し、一人ずつメンバー紹介が行われた。最後に、志磨は自身を「ペテン師」と称し、静かに「Baby Baby あんたなんか」と観客を指さしながら繰り返し言い続け、その言葉の語気が次第に強まっていく。


 そして、会場の熱が最高値まで高まると志磨は客席に飛び込んだ。観客は志磨を支えようとするのではなく、まるでバーゲンセールに挑む主婦の様に志磨を掴み、必死に奪い合っていた。

 この会場にいた全ての人が志磨の魅力に惹かれ、強く志磨を求めていた。志磨は、人に求められることを恐れる様に「離せ ボケ!!」と叫ぶ。そして、ステージに戻ると中指を立て、観客一人一人に向けた。

 そして、「嫌い 嫌い 嫌い」と繰り返し言い続けたまま動画は終わりを迎えた。


 この動画を見た私は只々、茫然とスマホの画面を見続けていた。腕には、びっしりと鳥肌が立ち、今までにない感動が胸を熱くした。

 この時の感動を超えるものにはまだ、出会えていない。

 そして、コロナ渦で何もすることのない私に生きる意味を与えてくれた人物だと今でも思っている。私の人生は志磨遼平に出会うためのものだったのではないかと現実主義者であった私にロマンチックな妄想をさせてしまう程の衝撃をくれたのも志磨遼平が最初で最後の人物かもしれない。


 志磨遼平には、人を魅了する力とカリスマ性がある。この記事では、紹介しきれないほどの魅力を持った人物だ。

 今後も少しずつ、志磨遼平の魅力や音楽性についての記事を書いていこうと考えている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?