みんなやっている「レッテル貼り」。自分に向けるか他人に向けるか
「レッテル貼り」……この言葉に説明はいらないかもしれませんね。
自分や相手のことを「○○」だと決めつけることです。
「どうせ自分は○○者だし」
「このネ○○ヨめ」
「○○球団のファンは品がない」
……いくらでも出てきますがこれではただの悪口ですし、もうやめておきましょう。
ちなみに、これら全て自分が考えたわけではなく、ChatGPTで質問したらさまざまな例が出てきただけです。
不快な思いをした方がいたら、ごめんなさい。
ただ、こうした決めつけも「認知の歪み」の定義の一つです。
極端な形で現れる「一般化のし過ぎ」といえます。
◎楽だからレッテルを貼る
実は、レッテルを貼るのは楽なのです。
ある意味、処世術といってもいいかもしれません。
たとえばしょうもないミスを犯したとします。
ちょうど今朝、自分の身に起こった出来事なのですが、お風呂を沸かそうと思っていたものを間違えて床暖房のボタンをオンにしていました。
なんか部屋がポカポカするな(むしろ暑いな)とは思ったのですが……。
そうしたときに、なぜミスを犯したのかを深く考える代わりに、自身にレッテルを貼ってしまうわけです。
「自分はどうしようもない大馬鹿者だ」
ここまで思い詰めてしまうと、かなり「認知の歪み」が入っているのはわかるでしょう。
でも、その方が精神的に落ち着いたりすることもあるのです。
ボタンを押し間違えた理由をああでもないこうでもないと検討するよりも、自分を大馬鹿者と定義してあげた方が簡単です。
◎他人に向けられるレッテル
レッテルの対象は自分だけではありません。
「あいつはダメ人間だ」
「あの○○野郎!」
「奴には○○がお似合いだ」
このような感じで他人にレッテルを貼ってしまうことは誰しもあります。
説教臭い話はしたくありませんが、「レッテル貼り」の背後に潜む負の感情……これが必ずしも自分に正義があるわけではないことは、自覚した方がいい気がします。
他人に向けられる「レッテル貼り」もまた「認知の歪み」なのです。
今回の話はここまでです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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