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煩悩まみれのどうしようもない私

この記事では、PREP法(結論→理由→具体例→結論)という文章構成法を用い、簡単なご法話(仏さまのお話)を執筆させていただきます!
※PREP法はサラリーマンの基本スキルです!

P:結論(Point)

阿弥陀如来の「必ず救う」という願いをただ素直に信じ、念仏を申させていただくことが重要である。

R:理由(Reason)

なぜなら、私は煩悩まみれの愚者であるからだ。
また、法然聖人は次のように仰っている。

浄土宗の人は愚者になりて往生す

浄土真宗聖典(注釈版). p.771 .親鸞聖人御消息

阿弥陀如来は、この私を愚者であると見抜かれている。
さらにその上で、煩悩まみれの私を救ってくださる。

「必ず救う」に込められた"確実性"と"ありがたみ"を聞きひらいた時、これまで思いもしなかった「恐れ多い」気持ちがわき起こる。

つまり、私が愚者であることに気付かされるのだ。

E:具体例(Example)

私は中学〜高校生の頃、祖父母の家で暮らしていた。
部活動に明け暮れ、部活が終わったら仲間同士で近くのショッピングモールのフードコートで外食することが当時イケてる奴であり、お決まりであった。

毎日、祖父母は家で食事を準備してくれる。
私はそのことを知っていながら、祖父母には何の連絡も入れずに、仲間と外食に行くのであった。

家に帰ると、ラップのかかった私の食事がテーブルの上に並べてある。
私は後悔する。
部活が終わった時にでも「食べてくるからね」と伝えておけばよかった…と、。

ましてや、外食費のお小遣いも祖父母からもらったものであり、外食に行くことはお見通しなのである。
本当に私はどうしようもない孫であった。

そんな私を思う"祖父母の優しさ"に気づいた時、同時に私の愚かさに気づかされる。
祖父母の気持ちを素直に受け止め、「今日は家で食べるからパス」と仲間に言えなかったものか。

この思い出は、阿弥陀如来と私の関係にも当てはまるのではないか。
阿弥陀如来は私を愚者と見抜かれているが、私は阿弥陀如来の智慧をこれっぽっちも量り知れない。

(↑今回のお話は、まさにMONGOL800の「あなたに」の歌い出しの歌詞に詰まっている。)

P:結論(Point)

よって、阿弥陀如来の「必ず救う」という願いをただ素直に信じ、念仏を申させていただくことが重要である。

合掌


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