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China Dreamを目指した外国人たち-ヤオハングループからForbesまで

はじめに 

香港のナイトライフの変革者-「アラン ゼマン-盛智文」

中国フォーブスランキングの立役者「ロバート フーグンワーフ-Rupert Hoogewerf」

中国に電気をもたらした一族-「嘉道理 家-カドーリエ家」

夢と散ったアジア一の小売りビジネス‐「八佰伴‐ヤオハングループ」

結びに

はじめに

14億人の規模と、世界第2位から第1位の経済となりつつある中国。ですが、中国在住外国人の人数は、私たちの想像よりも小さくなっております。
特に2020年-21年は多くの外国人が、様々な理由で中国を離れることになりました。参考情報‐https://note.com/hongkongchina/n/n4c4ee15231c0

(全人口の内、0.07%が中国に占める外国人人口で、かなりすくない)

その一方で過去においては、外国人が中国社会で活躍することは多々見られています。
欧州の近代文化を伝えたイタリアのマテオ リッチ。遣唐使として派遣され国家官僚に上り詰めた阿倍仲麻呂。
私も中国で生活する一人の外国人として、現代中国で成功した外国人富豪や夢を追った外国人について、今回まとめさせていただきました。

(中国の映画でも、阿倍仲麻呂は取り上げられてる歴史上の偉人である)

香港のナイトライフの変革者-「アラン ゼマン-盛智文」

本名は「Allan Zeman」、現在は中国名として「盛智文」を持つ彼は、ユダヤ系のドイツ人として、1950年に生まれました。彼は幼き頃にドイツからニューヨークに家族で移民しましたが、父親との死別と移民としての苦労を味わうことになります。家族はその後カナダへと再移住をしますが、父無し子となった彼は10歳から働き始めます。

(新聞配達と皿洗いから、鉄道工事など勉学と労働を並行して続けた)

 17歳のころには本格的に服飾産業で働いていましたが、独立を決心し19歳の時に香港にやってきます。当時の香港はイギリス統治下で、中国との数少ない貿易窓口でした。ユダヤ系のネットワークと自身の能力によって服飾産業で富を得た彼は、新しい事業に取り組みます。

(徒手空拳から夢をかなえた、香港ドリームの体現者)

後に香港最大の歓楽街となる、「Lan Kwai Fong-蘭桂坊」地域の再開発計画に参画し、アジア有数のナイトライフ地域を、彼は作り上げます。
その後も香港中国の各種ビジネスへ参入し、2011年には香港政府から「紫荊勲章」を送られました。ゼマン氏は元のドイツ-カナダ国籍を放棄し、中国国籍を習得しています。

(香港随一の観光名所は、異邦人によって創出された)

中国フォーブスランキングの立役者「ロバート フーグンワーフ-Rupert Hoogewerf」

世界の富豪資産を順位付けするForbes、このランキングにも中国在住の外国人が大きくかかわっています。
ロバート氏は胡潤という中国名を持っていますが、ルクセンブルクにルーツがあります。1970年に生まれた彼は、若くから中国で学び、上海を拠点に選びます。

(日本でも留学をしており、計7か国語を解する)

マッチングアプリへの投資事業での成功を皮切りに、ロバート氏は会計士としての経歴を生かした新事業への展開を進めました。
中国国内の富豪の情報をまとめる事業です。公開情報の少ない中国で、彼は各地の統計情報や経済誌の情報を一つ一つ精査していったそうです。

(中国での経済情報集めは、同じ外国人として苦労がしのばれます)

1999年に初の「中国版富豪ランキング-百富榜」が完成します。当初注目を集めていなかった同資料ですが、イギリスでのPR活動が成功し正式にForbesとの提携が決定しました。Hoogewerfから命名された「胡潤百富」として、中国の経済情報をまとめた情報資料は、現在も大きな影響力を発揮し続けています。

(イギリス首相と中国外交の橋渡しでも活躍した)

中国に電気をもたらした一族-「嘉道理 家-カドーリエ家」

日々当たり前のようにある電気。中国に電気事業を根付かせたのは、中近東からやってきた一族である「Kadoorie family-カドーリエ家」です。

彼らは、上海がイギリスやフランスなどの列強諸国によって統治されていた時代に、上海へやってきた一族です。もともとはイラクにいたユダヤ人で、インドでも商売をしておりました。カドーリエ家の縁者が当時の上海では権勢を誇っており、上海での不動産事業に一族を挙げて取り組みます。

(現当主で3代目のミカエル氏。中国籍を保有している)

1881年、カドーリエ家の中のアイリー氏が一族の出資を得て、香港へ居を移します。アイリー氏は金融事業で頭角を現したのち、「中華電力有限公司- China Light and Power Company Limited」を立ち上げ、発電事業に参入します。
81年当時はまだ電力が注目されておらず、競争相手も少なかった中華電力は、アイリー氏の息子であるローランド氏の下で成長を続けます。ローランド氏は発電事業を香港のみならず、中国の大都市である広東省広州市や上海市まで拡大します。

(中国のインフラ整備において重要な役割を果たした中華電力社)

第2次世界大戦や中国内戦などの混乱期を経た後、ローランド氏の後を継いだ息子のミカエル氏が、中華電力の事業を再編成します。香港での電力事業の再編成のみならず、不動産事業への注力などを経て、現在も拡大路線を歩んでいます。

(香港のランドマークである「ペニンシュラホテル-半島酒店」も「嘉道理 家-カドーリエ家」が成立に関わっている)

夢と散ったアジア一の小売りビジネス‐「八佰伴‐ヤオハングループ」

日本での成功を基に、上海や香港、さらにはアジア一の小売りビジネスを目指した企業、和田良平氏によって立ち上げられたヤオハングループを、皆さん聞いたことがあるのではないでしょうか?
ヤオハンの夢は半ばでついえてしまいましたが、往時の勢いは中国における日本企業の目標とされていました。

(地方の農家から身を立てた和田氏は、その経営努力で知られていた)

1930年に生まれた和田氏は実家の八百屋小売り店を拡大していき、70年にはブラジルへ、95年にはアジア最大規模のショッピングモールを上海へ、さらには90年代半ばにはヤオハングループ全体の本社を香港へ移転しました。全盛期には、16か国450店舗のネットワークを作り上げています。

(上海のヤオハンショッピングモール。90年代の中国において、代表的な日本ブランドであった)

繁栄を迎えた同グループはバブル経済の崩壊で足元の日本市場がぐらついたのに加え、アジア通貨危機によって海外店舗が打撃を受けます。経営復活のめどが立たず、世界の小売りを目指してたヤオハングループはイオングループへ救済統合されることになりました。
現在は「Max Value」と名前を変えています。和田氏は晩年、海外ビジネスの在り方を啓蒙する活動に身を捧げました。

(時代の波に生き残れなかったヤオハン)

結びに

ビジネスは自分が生まれた国や文化圏でも難しいものです。失敗するのは常ですが、その中で中国に挑戦してきた外国人たち。今回私の先達をご紹介させていただきましたが、彼らの成功によって、私のような外国人も中国で成長が出来ます。

参考文献

https://www.hurun.com/

https://www.toutiao.com/a6756542800793174531/

筆者連絡先
FB:https://www.facebook.com/profile.php?id=100004295732853
Wechat ID:YUKIKATOU888

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