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「中学は社会の縮図」の本当の意味 ~なぜヤンキーは"上位"なのか~

こんにちは

昔から「中学は社会の縮図」だなんて言われていました。

本当にそうなのでしょうか。一部の陰キャラはエリートになり、中央政財界へと乗り出します。そこで自分の人生を謳歌し

1.中学校は社会の縮図である

暴力で支配するヤンキーたちが上位に位置し、勉強のできる普通キャラと教員が結託して規則や席替えの際に権力を振るい、ガチガチのオタクや容姿がよろしくないとされている人、貧乏な人は日の目を浴びず、保護もされない。打ち上げにも呼ばれないし、学校行事でもお荷物扱いされる。

このような「世紀末状態」が体験できる、それが中学校である、このようなことが「中学校 社会の縮図」と調べると出てきます。これは現実社会においても適用可能であり、不良は日常的に権力を振るい、頭の良い人たちも権力を振るうことができ、それ以外の雑魚は何もすることができない。これが社会である、このような説があります。

もちろん私立中学校や、一部の地域の中学校ではこのようなことはないのかもしれません。しかし、このようなことが検索して出てくるということ、筆者が通学していた中学校もこのような構図が出来上がっていたことから、この「社会の縮図論」は半分以上の公立中学校に適用できるでしょう。

2. おい、ちょっと待ってくれよ

「おい、待てい(江戸っ子)」

と思った方もいるでしょう。確かにこれには例外があります。

一部の何の取り柄もなく、どうにか勉強だけできた人たちはそれをコンプレックスにして名門高校に通うか、自分の特技を活かせる専門的な分野へと進み、その後に花開くことがあります。この文章を読んでいるあなたたちもそうでしょう。

そうすると「陰キャラでも何とかなるじゃん、これは嘘だってはっきりわかんだね」 そうおっしゃる方もいるのではないでしょうか。

3 「社会の縮図論」に隠された本当の意味

「中学校は力の持つもの、特にヤンキーを中心とする人々が権力を握る階級社会であり、ヤンキーは最強である。」

「だが能力さえあれば勝ち上がることができ、彼らよりも豊かな暮らしができる。逆転可能である。」

これが今まで伝えてきたことでありますが、結局のところ、勉強ができようと教員に擦り寄って権力を得ようと、陰キャラはヤンキーには勝てません。

これはなぜでしょう。

ヤンキーは自分の幸せを自分で決めることができるからです。

彼らは若くして結婚し、実家を継ぎ、子供を産み、お古のアルファードに乗ります。もしそうでなかったとしても、彼らのインスタグラムには心の底から笑う人々の写真が写っています。

対して選民思想を持って都会に出た陰キャラは、周囲との比較、見栄を張ることに躍起になりがちです。タワマン、高級車、それに伴う駐車場代、子供をSAPIXに通わせ、お受験マシーンへと育て上げます。年収が2000あろうと、子供の塾代とパートナーへのプレゼント代が高くつき、自身はファミレスのメニュー選びすら苦労するようになるでしょう。

この場合、社会的地位という観点から見ると後者の方が上ですが、幸福度を考えると前者の方が上なのでは間違いありません。

いくら金や力を持っていようと、不幸では意味がありません。結局、自分の幸せを自分で決められる人が一番強いのです。どう足掻こうと、彼らの幸福度には敵わないでしょう。

生きていくにあたり、ヤンキーのような自分の幸せを自分で決められる人が一番強い。これが「中学校は社会の縮図」であるという言葉の本当の意味が見えてくるのではないでしょうか。

我々陰キャラが真に幸せになるには、自分の幸せを自分で決めるしかありません。

それではみなさん、良い1日を。



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