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読書記録③「センス・オブ・ワンダー」

 こんにちは。

 最近は台風のニュースがとても心配です。どうか皆さん万全な備えをなさってください。

 1つ前の投稿で、今年の夏休みは残りの期間で読書をしたいと書きました。最後に読書記録を書いたのが2週間前ですが、今回は読書記録第3弾です。身体の不調が最近多いので、休むことに専念していると言った感じです。読書は良いですね。


初めに

 今回の本はレイチェル・カーソン著・上遠恵子訳の「センス・オブ・ワンダー」です。

 レイチェル・カーソンさんはこの本によると1907年に誕生し、57歳でこの世を去っています。海洋生物学者として研究に従事しながら、作家活動をされていたとのことです(「センス・オブ・ワンダー」訳者あとがきを参照)。この本は甥っ子であるロジャーくんとカーソンさんが自然の中を一緒に歩いた記憶について、かなり鮮明に書かれています。

 この本と出会ったきっかけは超友達からの紹介でした。2年前のことです。電話をしていた時にとても明るい声で「センス・オブ・ワンダー」のことについて話していたので、何となく印象に残っていました。その超友達は私に様々な世界を教えてくれる子だったので、きっと面白い本なんだろうなと思いました。丁度その記憶の印象が強いうちに大きい書店に行く機会があって、この本を見つけて購入しました。川内倫子さんの写真が作中に挿入されているとのことで、そこも楽しみだなと感じていました。

 「センス・オブ・ワンダー」は2年間私の積読になっていたわけですが、最近読書する機会が増えてきたこともあって読んでみようと思いました。「センス・オブ・ワンダー」の文庫本を手にしたことのある方はご存じかとは思いますが、物理的に薄い本でもあります。再チャレンジにぴったりだと思いました。それに読んでみたくなってしまうような表紙をしているんですよね。

私の中のセンス・オブ・ワンダー

 最初この本を読み始めて、私にはなじまない感覚の話をしているのかもしれないと感じました。ムズムズする感じでした。なぜなら私は、海の前に立つと地震が来たらと怖くなるし、草のにおいが苦手だし、とても小さいクモでさえ怖いと感じるからです。最近はうちの庭の木にハチがよく遊びに来ていてそれが悩みの種。

 この本ではカーソンさんがロジャーくんと自然を冒険していく姿が描写されていますが、途中からタイトルであるセンス・オブ・ワンダーについての説明がなされます。カーテンさんは、子どものころに培った感受性や洞察力が大人になるにつれて失ってしまうから、

 

もしもわたしが、すべての子供の成長を見守る善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性」を授けてほしいとたのむでしょう。

「センス・オブ・ワンダー」レイチェル・カーソン著・上遠恵子訳、P.33の5行目からP.35の1行目より

と述べています。

 この言葉が私の中のセンス・オブ・ワンダーを呼び起こしました。最近でいうと、夜に犬の散歩をしながらふと空を見上げて深呼吸をした時のことです。静かで唯一見える明るい星を見ながら、昼間より少し冷たい風を肌で感じた瞬間に私は生きていると強く実感したのを覚えています。木漏れ日に心奪われて、フィルムカメラでずっと木漏れ日を映していた時期もありました。まだ元気だった頃に友達と海に行って、海に反射する光がキラキラとダイヤモンドのように美しかったことは今でも思い出します。

 私は自然というものになじめない人間であると思ってきたし、この本にあるような”神秘や不思議”にゆかりがあるとは思っていなかったです。だから、この本にあるセンス・オブ・ワンダーと自分に結びつきがあると気づいたときは大変驚きました。自然と自分がつながった瞬間って忘れていただけで、鮮明に思い出すことができるのだと気づきました。一気に私はこの本に共感していったのでした。

終わりに

 毎度の様に襲ってくる自分の解釈が間違っているのではないかという不安と闘っています。日々、Xで朝ドラとか映画などの語彙力を駆使した考察を沢山見かけるので、余計にそう感じてしまうのです。でもこうやってnoteに残しておくことで、記憶に残りやすいんですよね。読み返すこともできますし。

 私は昔メルカリに熱中していた時期があって、「どうせ読み終わった後売るんだから。」と本をとてもきれいに丁寧に扱っていました。けれど、今では気に入ったところに付箋を貼りまくり、付箋がない時は角っこを積極的に折り曲げています。これを実践しようと思ったのはまさに大学の勉強に由来しているのですが、折り曲げたり、書き込んだり、持ち運んだりすることでその本に価値をどんどん与えていっているといったイメージです。とても愛らしいです。

 「センス・オブ・ワンダー」の最後には『私のセンス・オブ・ワンダー』と表して4人の方の解説エッセイが掲載されています。私はあえてそこをスキップしました。まずは自分で感じたことを大切にしたかったからです。付箋を付けたところも含めて、2回目に読みなおすためのご褒美に取っておきます。人それぞれの感じ方がある中で、本の最後に4人の方のエッセイが読めるというのは豪華だなと感じます。本に限らずですが、気に入った作品に何回戻ってきてもそのままの世界がある、その事が私に落ち着きを与えてくれますし、とてもありがたく感じる今日この頃です。

 今回はここまでにしたいと思います。「センス・オブ・ワンダー」は2回目も読みたくなってしまうようなそんな作品でした。透明感のある記憶を呼び起こしてくれました。また読書がしたいと感じることができました。とりあえず、夏休みの読書記録はこれを最後にしたいと思います。これから放送大学の卒業研究の準備に入っていきます。これからも時間を見つけて、必要に駆られていない本を沢山読んでいきたいです。時間があるときに再び読書記録を書くつもりなので、またここに戻ってきてくれたら嬉しいです。

それではまた。


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