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魂の色ってなんだろうとか,愛の形って?とか.

久しぶりに好きな映画を見返して. 

ビューティー・インサイド(原題 : 뷰티 인사이드) 

物語の原案や構成は, 以下で読んでいただけると. (2003年のカンヌ国際広告祭グランプリを受賞した短編作品が元となっている. )

韓ドラを座って10分も見れない僕が, あえて書きたいと思ったのは何を隠そう人は見た目が全てじゃないよねーみたいな薄っぺらい心情で観るものじゃないと思ったからだ. 

子供の頃捨てられなかったもの

おもちゃ箱に詰まったガラクタ達. 多少壊れても捨てたくなくて, 手放したくもなくて戯れることがなくなってもしまったまま補完していたものってないですか?僕はトイストーリーが好きだったのもあり, おもちゃを捨てられなかった. 本気で魂が宿ってるとか信じてたし, 愛らしくて堪らなかった. 

五感とデータ保存

僕らが身体の受信機を通して感じている五感の情報って, データとして蓄積されあるいは反応するわけで. それらが記憶になっていてって考えるとデータが保存されている状態なんだなと. 例えば, 今日見たものは視覚を通して受けてインプットされたり, 聞いた音楽やこの季節なら蝉の鳴き声は聴覚を通して受けとったりしていて, それらが蓄積されている. あれは蝉だ, あれが空だ, これが塩だ のように. 

大切な人を感じるとは何か.

さて, 本題に帰ってきますが大切な人を認識するのは何でしょう. ビジュアル?匂い?手触り?声?それとも, 手垢のついた製作物?

「全て。」と言われればまぁそうなのかもしれません. 

この映画ではその“情報の源”である“人”そのもの毎日が変わってしまう. 昨日の“あの人”が消えていく感覚と確かめる感覚が同時に現れる.

 ( ちなみに小言だが僕みたいなHSPの人間はウジン<主人公>よりも, イスに共感浸透し過ぎて観るのがしんどい. )

毎日, 大切な人が変わっていく. 顔も声も性別も人種も年齢でさえも. 

その人を確かめるってなんだろう. 

魂の色は何ですか?情念と霊. 

2人だけしか知らない世界の話かもしれない. あるいは, 彫刻を掘らしたらわかるかも知れない. 

昨年, 親友がこの世を去り改めて生命について考える日々だった. 彼の亡骸も声もプレーも五感では遂に感じられない. 残った残像だけが物語ってる. 

なんだかそんなことが頭を横切りながら, 改めて想うのです.

人が世に残すものは生きた残像だけだと. そういう意味で, 物に宿るアニミズムや情念みたいなものや手垢やオーラに頗る惹かれる. 

形見に宿るのは, 人の妄想だ. 

幾つもの残像, ピースを繋ぎ合わせてポッカリ空いた“空”こそがその人そのものなのかもしれない. 

仕草, 姿勢, 反応, 視線, 作ったもの, 嘘のつき方. 

無意識..... 霊性.

すべては同じ場所に行く。
すべては塵から成り
すべては塵に帰る。             (コヘレトの言葉 3:20)

というわけで,目に見えるものだけじゃないウジンの心, 魂の形から愛を満たされたイスの感受性で鑑賞すると多分5回は泣くかと(笑) 

良作でした.  (そして親友が人間臭くて奴です)

以上.









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