とある方は “X世代、Y世代、Z世代。一般的にカテゴライズされてますけど、ホント時代錯誤だと個人的には思います。この多様性の時代に、なぜこんなにカテゴライズするのか?「個人で大切にしている価値観がある」で良いのかなと。もう、ひとくくりににして何かできる時代は終わってると、僕は感じています。”
と述べていますが, 構造主義や知識者科学的観点からカテゴライズが必ずしも時代錯誤ではないと感じています. なぜなら, 生まれ育った時代の環境的要因(メディウム, 経済, 文化, 人類)による差異がとある世代間で存在すると考えますがいかがでしょう?
“カテゴリー化を絶対的なものとして扱わないことが重要です。”
仰る通りです.
一方で前述した, 「個人で大切にしている価値観がある」をどうやって「個人」と言い切れるかもまた慎重であるべきでは?と考えます.
多様性の時代とありますが, 過去にも多様性を重んじた時代が世界ではありました. 世代感のカテゴライズはステレオタイプなレッテルとしての機能ではなく, 個々人の共存を理解するために普遍的な道具や関係性のfunctionとしての記号だと考えています.