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思考回路と行動回路のコンデンサー

きっかけはチームのミーティング時に、僕が何を話しているのか分からない問題が起きた点であります。長い時間、行動を共にしてきた仲間ですら理解不能なことが多発してきたときにそろそろ取扱い説明書でも書こうかね、と沸々と思い始めたのがスタートで実を言うともう一冊、執筆しているのがあるんですが(去年から書いてたやつ)そっちは専門性が高くて解説やら論文やら混じってくるので後々出します。

おおまかに言って、3つ。キーはアート、教育、地域の三つの側面から物事を見ていてもっと言えば、文化と教育と社会の軸から世界を見ている感覚です。説明します。

衣食住と共にある芸術、音楽。
古い昔から何故だか衣食住と共に芸術、アートや音楽が共にあって現代まで形を変えながら存在している。その変わっていく変わらないものに惹かれてついでに僕は音楽とアートに恵まれて特にダンスですがもはや息を吸うのと同じようなわけです。ダンスは空間彫刻だなと思いながら、では先人達が耕してきた或いは一生をかけて築き上げてきた針の先に何を乗せられ得るのか。追加できるのか。そこから何が掘り起こせるんだろうって事を考えています。何せ、文化:カルチャー:culture の語源はcultivateでラテン語では「colere」耕すって意味で、cult:カルトとも関係はありますが、文化の語源が耕す って、それはもう喜んで耕すわけです。音楽畑だー、ダンスファームだーっとか言って。ですから勿論楽しむツールというより喜びそのものなんですね。それでダンスをエンターテイメントとアートに分けています。ここが結構重要で、前者はもうすでに価値づけされている数値化が完了されていてしかも消費対象と考えています。後者は未だ価値づけられていない未規定な領域を耕すことです。未踏とでも言いましょうか。そんなわけで人に需要があるやり方で落とし込んでいる方がエンタメとしてのダンス。公演やったり、レッスンやったり、振付や舞台構成や演出をさせて頂いてます。一方で、実験的である種の研究をしているのがアートです。僕の専門はセッション。即興で演奏家や芸術家とセッションをしてます。多分ダンスって言うとジャンルがあって技があって振付けがあってと思い浮かべるかと思うのですが、僕が専門でやっているのは音楽と芸術に基づいたダンスであり舞踏。すなわち、音楽理論的側面(演奏者:楽器)と芸術的側面(姿態:自然:霊性)から紐解いてやってます。なのでバンドや演奏隊、クルーの中に混じってやってるのです。でもそれにも理由があるんですがそれはまた話すとします。直接聞いてもらってもいいです。

次に教育
よく言われることなんですけど点数稼ぐ勉強法は社会に出てからはほぼナンセンスだと。たしかに基礎的なこと以外は本当そうだなと思う反面、学校ではそれができないなと。いや逆に学校では学べないこと冒険できないことを教えてあげよう、一緒に冒険しよう思ったのです。なぜなら、社会には答えがない課題に対して挑む訳で枠の中で解答していても身に付かない。現に大人が迷ってる。いや投げ出してると言った方が適切かもですが、思考体力と身体能力向上を目指しながら全力で遊ぶことを教えようと思ったのです。ディスプレイや本にも習えないこと。そうやって選択肢と創造力を養う場はどこか、ましてやそれを支えている地域や学校そして親御さんに近い場所はと考えたところ児童クラブ(児童館)をみつけて今はそこで小さきもの達と全力で課題:お宝を探してミッションしているのです。ゆえに児童館員は放課後の定められた時間の中でクリエイティビティを発揮するわけです。1人1人の人間にとってのお宝はどこにあるのか、いつ出てくるのかわかりませんから。親御さんとの連携も含め、地域も含め。僕はそこで遊びの発掘を手伝うことで宝の地図を広げていってるのです。小さな疑問に全力でぶつかっていきます。一回のつまづきがその子にとってトラウマになりかねない中でどうやって「嫌なもの」に魔法をかけるかを考えてフィジカルにコミットしているのです。

地域、社会奉仕しながらみる民の姿態。
ただ今、某大手スーパーにて絶賛社会科見学中です。なんでまたスーパー、小売業かといいますと今までサービス業に従事してきたのはいいのですが社会のエコシステムとしてという見解をしたことなかったんですね。そのかわり職人技を真近で見てきましたが。マーケティングや市場、サーヴェイを市民や地域に対して特に自分が住んでる場所でやったことなかったんです。だから従事している人間をカゴの外から観察していると現場ではサービスとは何かという問いを日々さばいてる姿に気づいたり、地域という視点で見るとその方々も消費者でありいち市民なんでそこの社会エコシステムが見えてくる。ではその市民とは誰かと考えたときに、小さきもの達の親御さんであったり周囲に住んでらっしゃる方々であったり、親御さんのご両親であったりするんです。地域という枠組みで見てみるとこの地域住民の、社会に奉仕するあるいはされる関係のサイクルでありしかもスーパーは老若男女問わずいろんな方々が来店する。人々のクロスシティな場所なんですね。現場で社会断層に立ち会えばそこの地域がわかる。この経済サイクルを回している人々が誰かがわかる。テックとかAIとか、デジタルな流れをどうやって取り入れられるかはそうなんですけどそれによって失われる部分であったりとか消費に付随してる付加価値の発掘をやってたりしてます。そんな訳で今、スーパーにて社会科見学をしているんです。


社会の断層を行き来しながら、ファシリテートをする。様々な視点を持って社会を見学する事で現場で何ができるのか。ガヤガヤ騒いでる情報ではなくて実際に必要としている情報を現場に持ち込む、はめ込むためには。。。”サーヴェイ × (トライ ÷ エラー) = 需要 余りが付加価値”
システムを落とし込む必要があればそれはそれでいいんですけど、では文化的資産から見たとき表現はどう言った関わりになってくるんだろうという課題が見えてくる。すると、エンタメ的なコミット然りアートな未規定な、未だ価値づけされていない実態の解像度が上がる。消費市場に出てないけどなんかこれは”美しい尊さ”があるねぇ。となるわけです。100年後の文化資産を考えながら今の自分にアップロードしつつ、その上で過去の偉人達が積み上げてきたリソースを統合すると時空間:現代だからこそできる可能性が表現したいクリエイションが在る。そんな使命感を持ちながら耕して教えて市場に持ってってギャラリーに展示して(笑 いるのが今現在です。

幸福度を上げるためには何が良いんだろう。時にそれは最大公約数であり最小公倍数である。一番良いのはシンプルな自己幸福度を高める素材がわかれば良いんですけど、ほとんどの人が最大公約数から降ってくるので自分で自分を幸せにする方法を探す手伝いをしながら実はそれって隣人との共存の中にあったりするねっていう対話を小さきものからご老人までやる。本気で遊びながら仲間を作る感覚に生きがいを感じているわけです。

読んで頂き、ありがとうございます。

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