他人との無関係さの度合いを高めることで得られる豊かさや寛容さは反吐が出るほど百聞も百見もしたので辟易する.
人々の憩いを観察しながら街を歩く時間を過ごした後, 家族とと共にいざ自分が過ごしてみると場所に移動してまで感受しようとするニーズになんだが違和感を感じて, 時間を彩る“物事” で着飾る貧しさを想う.
先に書いておくと, 正直なところどんな憩いの時間を過ごそうがご自由にどうぞでどうでもいい.
そんなことよりも, いざ相対的に隣り合わせて置いてみると比較してしまう軽薄さの問題なのか着飾る貧しさの話なのかと頭の中に?マークが連なる.
どこで何をよりも, 誰と過ごすかだよ. という綺麗なセリフが頭を横切るのだけどそれをいうならSNSに映えるところでしか憩えないという創造力の狭さは豊かさなのかと言われれば甚だ疑問な訳で.
他人との無関係さの度合いを高めることで得られる豊かさや寛容さは反吐が出るほど百聞も百見もしたので辟易する.
まぁ極私的には, Whatever,Wherever, 名も無き豊かなひと時を愛する人達と嗜めればそれでいい.
記憶に残らなくても, 思い出せないことを悔やむくらい尊い時間を過ごす豊かな情操を育んで生きたいものだ.
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