6月の始まりに.
後進達の不安や夢を隣で聞きながら, 大人だろうが青少年だろうが誰であっても“誰かの夢”ってどうでもいいなって思う. つまり, 僕個人がどうこういうには烏滸がましいしその優劣や比較の指標とか心底どうでもいい. その人が, その人なりの選択で, その人なりに叶えられたらいいなと思う.
夢を見つけることさえ困難な社会の中で, 「これだ」と思えるものを見つけられたのなら, その理由を幾つも探して代替可能なものを見つけられたのなら. バイアスのハイジャックから脱獄できてその都度, 軌道修正すればいいと思う. そして代替不可能なものを見つける. 見つけ続けることに意味があって, その差分を微分し, 収束することに生きる時間が捧げられればいいと信じてる.
今, ここにない未来は作ってしまえばいい.
後進の足場づくりをしている身から何か補助線を引いてあげられるとするならば, 「とりあえず気になったことは素因数分解しておいえば?」だ.
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