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新型コロナウイルスで義母が亡くなりました〜実家でデルタ株クラスター

タイトルそのままなのですが、実は昨年2021年8月、義母、つまり妻のお母さんが新型コロナウイルス(デルタ株)に感染して亡くなってしまいました。

このパンデミックが始まってから、日本では有名芸能人などが感染し、亡くなったり、その症状などを報告しているリアルタイムオンライン配信などを見かけたり、SNSなどで入院中の患者さん自らがその症状の深刻さを撮影した動画がアップされたり、近隣住人や知人が感染して重体になったとか、その親戚が亡くなったという話が身近にちょくちょくあり、すぐ側までその脅威が迫っていると感じる日々でしたが、自分の身内が亡くなってしまったという衝撃は、実に受け止め難く、このブログでそのリアルな現実を伝えようと思いながらも今まで筆が進まなかった程、何か胸が詰まるものがありました。

妻の実家は美容室で、義母が一人で切り盛りする、家と一体化した個人店で、我々がオランダ移住して間もなく、義母がオランダへ遊びに来てくれたタイミングで、起業の走りとして義母を連れて訪問カットの企画を試してみたりして、義母と会った在オランダ日本人の方も何組かいらっしゃると思います。

元々義母は呼吸器系が弱く、風邪を引くたびに吸入器を処方されるという体質で、絶対に新型コロナウイルスに罹ってはいけない人だったのですが、去年2021年7月の終わり頃、「ちょっと風邪ひいたみたいやねん」と妻とLINE電話で会話し、その後もちょくちょくLINEのやり取りを行っていたのですが、その2日後に妻がLINE電話をかけても出ず、しばらくすると「しんどくて店も休んでるねん」というメッセージが届き、その後数日、妻が送るLINEにそう言えば既読がつかないなと心配になった妻が、義父に「お母さんどうなん?」とLINEすると、実家の近所に一人暮らししている義父の妹、すなわち妻のおばさんがコロナに罹ったので、義父も義母もかかりつけ医の予約をしたというのが8月3日のことでした。

義母はニ階の寝室のベッドに寝転がり、好きな韓流か華流ドラマのDVDを見ながら療養していたようで、義父もそこまでしんどいとは思わなかったそうです。

義母はしんど過ぎて、一階にある冷蔵庫やキッチンに降りて来ることもままならなかったようで、それも衰弱に拍車をかける要因になってしまったのでしょう。

翌日、かかりつけ医の予約時間に合わせて、家を出る準備をしていた義父でしたが、ほとんど動けない義母を着替えさせ、抱えてニ階から降ろし、車に乗せるまで相当大変だったようで、かかりつけ医との約束の時間を大幅に過ぎてしまったそうです。

そして診断の結果、やはり義母も義父もコロナウイルスに感染しており、かかりつけ医から保健所に連絡してもらい、保健所が入院先を探してくれたそうなのですが、なかなか入院先が見つからず、義母はかかりつけ医が用意してくれた酸素ボンベ2本を消費しながら約3時間半もの間、二人で車の中で保健所からの電話を待ったそうです。

幸い近くの総合病院に空きが出たそうで、入院出来ることになり、かかりつけ医の所から義母は救急車で搬送されることになり、自宅へ戻った義父に義母の入院先の病院から電話があり、「重症化していて今から人工呼吸器をつけるので、今のうちに奥様と話して下さい」と言われた上、「何が起こるか分かりません」と念を押されたそうです。

義父は「退院するの楽しみに待ってるからな」義母は「早く治して帰って来るわ」と振り絞ったのが結果的に夫婦の最期の会話となってしまいました。

義母はいわゆる重篤患者となった訳で、反対派という訳ではないものの、ワクチン接種が原因で亡くなってしまった方もいるのではないかというメディアの報道を見て、怖がってワクチン接種を躊躇っていたことが完全に裏目に出てしまった形でした。

この時期、大阪は医療が逼迫しており、受け入れ先が見つからず、自宅で亡くなる方の数が全国ワーストだとか言うことだったので、入院出来ることになった義母は、ある意味ラッキーな方だったのかもしれません。

一方、同じく咳がひどかった実家暮らしの31歳の義弟もコロナに罹ったことは間違いなく、義父と義母と義弟と、しょっちゅう妻の実家に出入りするおばさん4名の間でクラスターが起こっていたという訳です。

我々は遠いオランダの地で、ただただ、コロナ患者でもある義父からの報告を聞くだけしか出来ず、とにかく義母が早く回復してくれることを祈るばかりでした。

病院からの容態報告の電話では、呼吸器系の弱い義母は、やはり肺が機能しておらず、ECMOという人工肺につながれ、体中の血液を一旦ECMOに送り、また体内に血液を戻すという処置を受けていると聞きました。

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このECMOという人工肺も、どこにでもある訳ではなく、たまたま入院先の総合病院に空きがあったということで、これもラッキーでした。

そんなラッキーが続いたからか、この時点で義母が亡くなってしまうなんて誰一人微塵も考えておらず、ただひたすら治るのにどれぐらいかかるのだろう?という心配をするだけで、とにかく治ったら、義母をオランダに呼んで、大好きな孫たちと過ごしながら、ゆっくり療養してもらおうとか、義母もしばらく一緒に暮らせるような大きな家を求めて田舎に引っ越そうか等、妻と夢を語り合っていました。

実は六女を妊娠し、つわりのひどかった妻の助っ人として2020年3月14日に義母がオランダに来てくれたのですが、丁度その翌日ぐらいから初めてのロックダウンに突入し、観光や外食も出来ず、一歩も外に出ない生活を約一ヶ月過ごしたのですが、義母は孫たちと戯れるだけで満足だと言っていました。

そしてその約半年後、六女誕生の助っ人としてまた義母がオランダに来てくれ、約一ヶ月間居てくれました。

2020年の夏休みには日本に一時帰国し、一年以内に三回も義母と長く過ごせたので、今考えると妻や娘達にとっても、充実した時間ではあったでしょう。

その一年後の去年、2021年の夏休みも一時帰国を予定はしていたものの、コロナの規制が2020年とは比べものにならないくらい厳しくなり、日本に帰国した場合、この時で3日間のホテル隔離や、収入がままならない中、常にお金の心配をするあまり、僕の不注意から大金を失ってしまうという事件もあり、それが追い討ちとなり、ギリギリまで悩んだこの夏の一時帰国は泣く泣く諦めたのですが、一時帰国の為の航空券代の足しにとこっそりお金を送ってくれたりしていた義母に、今年は帰らないと決断したことを妻が報告した時の「帰って来られへんのか?」という悲しそうな義母に対して、無理矢理にでも帰国していれば、結果は違ったのではないか?という後悔の念に苛まれる日々でもありました。

つづく・・・

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