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自己紹介 私は何者なんでしょうか

はじめまして

ゆうりと申します。半年くらい前から興味があってちょこちょこみていたNOTEを始めてみました。

2021/02/01

なんかゴロがいいじゃないですか。


初投稿ということで、自己紹介をさせてください。

タイトルに「私は何者なんでしょうか」と入れてみたのは、今の自分をうまく表現できるキャッチコピーみたいな言葉が見つからなかったから。

なので、私を構成するいろんな要素を書かせてください

そのうち、プロフィールの頭にいい言葉があるかしら。


現在

神奈川県横浜市に住んでいて、鎌倉市で働いています

24歳、職業は看護師

今は総合病院の腎臓内科で働いています。

毎月20日くらい働いて、夜勤もちょっとして残業30時間くらいして

今やりたいこと? ーバイト

人の命預からずに、あんまり責任なく働きたい

できればコンカフェとかガールズバーとか、かわいい私でいたい


そんな願望を持ちつつ、白衣を着る日々です

看護師については今後いろいろ書いていきたいなと思っています。

2年目で、まだまだ見えていないこともあって

偉そうに書いたらどこかの先輩看護師に怒られそうな怖さもあるけど

でも1年目、2年目それぞれで感じることも大切だと思ってます。

初心を微笑ましく見てください、お姉さま方よ。


自分年表

1996年 北海道に生まれる

父より母が強い家庭

2つ上の兄がひとり。


・生後11か月で保育園に通う。

子どもの頃、この事実に母は冷たいと感じていたけどずーっと働き続けてくれる母には尊敬&感謝でいっぱいです。

(今の私は仕事3か月くらい休みたいし、もっとラクな仕事したいもんね)

クリスマスに欲しい物は 螺旋階段と噴水

かわいい物が好き、お姫様になりたい



・小学生

学級委員とかリーダーやりたい人だった。さすがしし座

兄は少年野球をやっていたので、そこの男の子たちにかわいがられてた

兄にくっついて学校行ったり遊びに行ったけど、兄は嫌がってましたね。

どこかで男言葉を修正し、兄のお下がりの服は着なくなった


世界の中心は自分だと思ってたよね

エアロビクスやってた。大会でレオタード着てソロで踊ってた

ちょっと強い先生のとこにも習いに行って、団体で大会の優勝候補みたいな感じだった。


小6がピーク。おしゃれが好きで、年下の子たちとも仲良くてお手紙交換とかしてた

きっと私、誰かの憧れであったと思う。



・中学生

自分のアイデンティティの確立ができておらず苦しかった時期

自分には何ができるの?将来が見えませんみたいな

あ、でも中1から地元のアイドルを始めます。

同級生に誘われて。笑

後々よくAKBに憧れたの?って聞かれるんだけど、

AKBがヘビーローテーションを出して「国民的」になる前で

AKBを認知していない頃に始めましたね。


志望理由は、

市民ミュージカルをやったりエアロビとやってたけど

ステージに立てるのって年に1回くらいで。それぞれ

ダンスも歌もできて、週に1回くらいステージに立ちたかった

そんなもんですね。

結局大学1年生の冬まで続けました。親戚に「みんな部活辞めて受験に専念してるよ。いつまで続けるの?アイドルで食べていけるわけないじゃん」

って結構煙たい発言されながら。


ってことでアイドル歴5年と11か月くらいでしょうか。

私、同級生の中に入れたら変な人なんですよ、多分

同級生と上手くいかないの

居酒屋でおじさんと話したり、年上の人と話している方が断然ラク

そしてお勉強になる。


夢はね、社長と何か特許を取って儲けること


・高校生

受験を頑張って少し頭のいい学校に入り、下の方にいた。

入学してすぐにアイドルやってるってことがバレて、生きづらくなる

アイドルって「すごいね~」が大きすぎたり

こんなんでアイドルって言えるの?みたいなのがある


「アイドル」って言葉がキラキラすぎるから


高校1年生の時、クラスの男子で「おいブース」って呼ぶ意地悪なお方がいて

私は1年間「ブス」やグループ名の名前で生きた。

メンタルガタガタ

でも、ステージやブログで「私はアイドルです ドヤ」って感じでいたから

それもあんま良くなかったんだろうなぁ。


2年生は優秀で人格に優れたクラスメイトの中で過ごして

先生も恩師と呼べるほどいい人だった。少し元気になる

2年生の冬に看護師になることをひらめく


人のためになること、人を幸せにできること

心理学とか哲学の勉強をしてみたいなあ

でもカウンセリングで人を救えるか?

心だけじゃなくて、身体の健康にも関われること

保健師になって、人々が病気になる予防がしたい

そっか、まず看護師の学校に通わなくちゃなんだ


そんな感じ。

アイドルって、父は職場の人に自慢したりして喜んでいてくれたけど

母みたいな現実的な人からすると多分あんま良くないことで。


母は栄養士なんですけど、予防医学みたいなのも母から学んで憧れたところがあるんですけど

看護師や保健師って自分のやりたいことが満たせて、

「誰にも反対させない立派な仕事」だったように感じる。

多分、心理学や哲学を学びたいから文系の大学に行きますって言ったら

「で、その後何になるの?どうやって食ってくの?」って言われる怖さがあったし、自分で自分にそう言っちゃってた。


大学で、その後仕事に役立つことがちゃんと学びたかったんだよね。


・大学生

演劇サークルに入る

ちなみに高校も演劇部

演劇好きなんだけどね、自分の平凡さを思い知らされる

ステージ立つのってすごく気持ちいいんだけど

稽古ができないことばっかりでマジでつらい。

だからまたやりたい気持ちもあるけど踏み出せない


1年生の冬ドラックストアでバイトを始めて、

持ち前の責任感で断れず テスト期間にもバイトをする。

大学4年生の時、行きつけの居酒屋で出会った社長に誘われてもう1つバイトを始める。

放課後等デイサービスで「ゆうり先生」になる。


結局持ち前の責任感で国家試験の2週間前くらいまでダブルワーク(ちょっと意味違う)

をする。


私勉強をコツコツできない人なんですけど、人の話はよく聞ける人なので

教科書にマーキングやメモをよくしていて

テストは一夜漬けでなんとかなってた。


満点とか狙ってなくて、60点取れてればいい人なので

テストに落ちない要領の良さはあれど、成績はよくない人ですね


大学の研究テーマは「地域在住高齢者における濃厚かつお出汁飲用によるリラックス効果」

そんな感じです。まあ周りの皆さん真面目に看護師のことや疾病、患者心理などの研究テーマを立てていたので浮きますね。


でもこれがやりたかったの。もう笑われるの覚悟で先生に話したら

「面白いね」って言ってくれて。ほんとに救われた

なにそれ?って言われたら、あ冗談です~ 認知症について考えてますって言うところだった。


恩師ですね。みんながハッピーになる研究しようって言ってくれたり

「あなたが看護師になったら目の前の人しか救えないけど

あなたの研究で世界中の人を幸せにできるかもしれないんだよ(だから病院じゃなくて〇JINOMOTOとかに就職したら)」

って言ってくれましたね。


・就職

22年住んでいた北海道の実家を離れ、鎌倉に来ます

母がしっかりしている人で、家事も全部してくれてたので

母から離れることでしか自分は自立できないと思った。

親戚にも札幌の病院じゃダメなの?って聞かれたけど

憧れの場所に行くには新卒でスタートラインがみんな同じ時がベストって思った。

いつか私は「そうでもない大学を出て、そうでもない病院で働いて」

転職する勇気がなかったから。

そして、「いつかやりたい」をずっと追いかけるだけの人生にしちゃだめだ、

今できるなら今挑戦しなきゃ って就活をしました。


多分変わった人間なので、好きになってくれる人はとても私を好きになってくれるんですけど

万人受けしないなとは思ってるの。

いつも、ほんとの自分を出すのは少し怖いよね


でも大人って楽しい!

自由にできることが増えて、自分の稼いだお金使えて


中学生の時とか苦しい日が多かったけど、自殺とか選ばないで

ちゃんと生きてきてよかったよ!って感じ。


もう一度現在へ


自己紹介が長くなっちゃいました。

ここまで読んでくれてありがとうございます。


まだ書いてないことがあるくらい、24年間を生きてきましたが

これからもっと自分らしく好きなことをしていきたい


もっと得意なこと、人の役に立てること

楽しいことって何だろう?そう思いながら生きています。


毎日乗り越えるだけで必死だった看護師1年目から

突然大股で歩みたくなったり

違う景色をみてみたい自分がいます。


新たな一歩を記念しまして、初投稿を残します。


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