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自分の間違いには気付きにくいし変えにくい

「自分の日本語がどこも間違えてないのに『無理やり』修正しようとする校正士さんが増えた」という指摘。…からの、一連の流れが面白い。

20年も物書きをなさっているという方(浅学にして存じませんが)からの鋭いご指摘。
ここだけ読んで、すでに私も「あぁ…そういう輩は確かに居そうだ」「最近の若い人の日本語って確かに変だし…」などと頷いてしまったものです。

しかも「自称・物書き」などではなく、「元・国語教員」でもあるという。
なるほどこれは確かな言い分なのだろうと、完璧に鵜吞みして、勝手に「若い奴らはけしからん」と思いながら(半ば憤りながら)読み進めていたものです。
これに対するリプライも、「若い人は『ケチをつけるのが仕事』だと思っているのでは」などと続き、いよいよ完全に私は「最近の若い校正様はダメだな!」と思い込み始めていた。

「仕事してる風に見せかける」ためだけに、変に細かいところばかり指摘してるんじゃない?? という意見も。更には「本人は修正不要だと思っていても、上司の目があって渋々修正を入れているケースもあるのでは」など。いずれにせよ、「そうさせている社会構造の問題」だという指摘もあって、きっとそうだ、そうに違いない!と変に興奮しながら読んだことを覚えています。

が。

最後の方で、「いやいや実はそう仰ってるあなた自身(の使う言葉)が古臭くなってきてるんじゃない?」という指摘が続いたわけですね。

これを読んだ瞬間、なんかもう、自惚れていた自分が恥ずかしくなって思わず穴を掘って入りたくなったというか。

20年も物書きを続けていて、多少なりと自信や自惚れも備わった頃。
そんな時、一番気を付けなければならないのは、「自分は本当に自分が思っているほど正しいのか?」という自省なんですよね。
その視点がないと、「これだから最近の若い者は」と簡単に相手をdisるようになり、いわゆる「老害」の出来上がり。

文字って誰にでも(ほぼ)書けるものなのですが、他人に読ませるとなると別ですし、お金を貰うとなればなおさら。
他人(読者)に迎合しなければならない、という意味ではなく、他人が読むコストをなるべく下げてあげるのも仕事の内。
更に言うなら、「文字は、読まれて初めて文章となる」みたいな格言もあるわけで。時代が変わったのならそれに合わせて文章も変えていく(もしくはその努力が必要)だったりする。

もちろんこのツイート主さんの文章を読んだこともなければ否定する気もないのですが、自分も反省しよう…と思った出来事でした。

と言いますのも、先日も同じような年代(アラフォー)の二次創作作家さん達とわいわいお話していて。
みんな昭和生まれなものですから、話題が似通ってて楽しいんですよね。
そんな中で「ねぇ知ってる? 私たちの書いてる創作文って、若い人から見たら古臭いらしいよ…」という恐ろしい話題が上がりました。

日本語としては全く間違えていないのに、どこかしらぷんぷんと漂う昭和臭
例えば、「紅茶をトレイに乗せて運ぶ」という文章が、「お盆にのせて運ぶ」と書いていたり、「ジッパー」のことを「チャック」と書いていたり。

笑ったのが、我々は「携帯を折る」というのが何のことか分かるんですが、若い世代には通用しない、という話。昔は「ぱかぱか携帯」とか言って二つ折りにできたんだよね…。

自分の文章が正しいかどうか。
それは自分の今の生きざまが正しいかどうかを知る鑑でもあるかもしれません。
携帯は、折らない!(笑)


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