見出し画像

note継続丸一年

割と何でも長続きする方なのだけど、noteが昨日で丸一年経過しました。

そもそもnoteで書きたかったのは↑このシリーズ。長年、家事代行や整理収納の仕事をしてきて、「片付けられない人」のことを等身大で書いてみたかった。というか吐き出さないと私のこころが苦しい、というレベルだった。とかくオタクはモノを集めたがる。

折しも愚弟が結婚を控え、家中を片付けなければならないというタイミング。記録も兼ねたこちらの記事は、別にとりわけ読まれているわけでもなんでもないけど、とにかくオタク諸氏はモノの管理に気をつけてほしい、という思いだけはこもっている。

人はいつか必ず死ぬんだから。

モノを貯め込み続けている人は、一体何歳まで生きるつもりでいるのだろう。disではなく、「あと何歳生きられるかな?」って一瞬でいいから本気で考えてみてほしい。

私は40代で、人生を80歳までと考えてもあと40年しか生きられない。まして元気で健康に生きていられるのはあと10年かな、と。毎日不要なものをひとつずつ捨てても、一年に365個、10年で3650個しか捨てられない。増える方は1日10個くらい軽々増えるから、捨てるスピードが追いつかず、50歳を超えたら家がゴミ屋敷化する可能性もある。

しかも私の母の享年までしか生きられないとすると、あとわずか数年の命。その間に(もちろん人生は楽しみつつ)仕事もしつつ子供に色んなことを教えつつものを減らすのはかなり大変なことだ。捨てている暇はない、だから不要なものを増やさない努力をせねばならない。死を恐れてる暇もない、今を楽しまなければ。

死を見つめて生きるのはとてもいいことだと思う。例えば父と食事をするのなんて年に2〜3回しかない。父が長生きできてもあと10年くらいだろう。もうあと(最大で)30回しか父とは和やかに食事できない計算だ。そう思うと一度一度の食事会を大切に記憶しておこうと思う。

私と同じオタク諸氏、せっかく出会えた推しグッズを、あなたがいなくなっても誰かに届けられるようにしてあげてほしい。

私は先日、棺桶に入れてほしいと思っていた神絵師の薄い本を中古同人誌屋に売却した。私と一緒に焼かれるより、同担の誰かの手に橋渡しすべきと思ったからだ。

自分の死後、誰かに何かを繋がなければならない。もちろん家族や身内のことを第一に考えなければならないけれど、持ち物のことも、心の片隅に考えてあげてほしい。

もしサポートのご意思があるなら、お気持ちだけで。別の困っている方へ直接ご寄付ください。私と私の家族は元気なのでnote経由のサポートの必要はありません(*'ω'*)