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「他人を頼れない」日本人

私は家事代行業をしています。
お客様の層としては、「お年を召されて自分では掃除が行き届かない人」と、「若いがゆえに仕事に忙殺され家の掃除まで手が回らない人」の二極化しているようです。

そのうちの、「お年を召されて」いる方のお客様は、かなり革新的な考えをお持ちの人が(偶然にも)多いような気がします。

■私を頼り、甘えて下さるお客様を見ていて気付いたこと


(あくまで私のお客様に限った話です)
いずれも重めのご病気などはお持ちなのですが、実際はまだまだお元気で、掃除だって十分きれいになさっている方が多いのです。それなのに、「あえて」今のうちから家事代行を頼んでおり、私との関係を深いものにしようとなさっています。
私も(早くに母を亡くしているので)まるで第二の母親に逢いに行くような気分でいつも楽しくお伺いしているのですが、正直「こんなにきれいなのにどうして掃除を依頼なさるのか?」と不思議に思うほど。

その皆様が口を揃えて仰るのは、「今はまだ動けるけれど、本当に動けなくなった時のために、安心して甘えられる人を今のうちに作っておきたい」とのこと。
あ、なるほどな、と思った瞬間でした。

■年齢とともに人は「新しい刺激」を拒むようになる

新しい音楽を、探してまで聴かなくなったのはいつからでしょう。
旅行に行く計画が、少し億劫になったのはいつからでしょう。
年齢を重ねるごとに、「新しいもの」への拒否感というか、単純に「疲れ」が出るようになりました(私まだアラフォーなのに!苦笑)

お客様曰く、「今のうちから家族同然に顔を合わせておけば、ボケてからでも安心!」だそうで(笑)実際、家に寄り付かない自分の子供より、私の方が気軽に喋れるし、色々頼み事もしやすいのだそうです。

私も、今は「掃除が趣味であり生き甲斐」と断言できるほどの掃除好きですが、いずれ「掃除もしたくない」くらいに老いさらばえていくことでしょう。体力がなくなれば趣味が楽しめなくなるのは道理ですから。
そのときに、「代わりに家の掃除してくれる人を頼もう」と思ったとして、きっとそのときには
「…でもなぁ、こんな状態を他人には見られたくないし」
「どんな人が来るかわからないから怖いよね」
「見ず知らずの人と1から関係を築くのって億劫
「やっぱりやめておこう、ゴミくらいで人は死なないわ
と思うことは明らか。そしてゴミ屋敷一直線。

そもそも、「誰かに頼る」っていうことが、すでに無理。
お客様には「ぜひ私を頼ってくださいねー!」と言うのに、私自身は誰にも頼りたくない、と思っている(ことに今日気づきました)。

子どもを頼るのも気が引けるし、同じ年代の主人も同じペースで年老いるから頼れないし…おや、意外と「頼る」って難しいな? さて、どうしよう?(と、今日の作業中に思い至ったわけです)

■「頼る/甘える」練習が足りない日本人

考えてみれば今までの人生において、「頼られる」のは快感でした。
自尊心、自己肯定感を否応なく高めてくれました。おかげでいまの私はとても充足しているし、幸せで、毎日が楽しいです。

ですが、このまま老いたときに、私は誰に頼るんだろう…?

先日亡くなった義父のことを思い返すと、死ぬ間際の数年は(思うように身体が動かなかったせいか)常にカリカリ、イライラして家族に当たっていました。そんな姿を見るのも辛かったのを思い出しますが、これって、昭和の男性特有の、「甘えられない」「弱音を吐けない」の裏返しだったのでは…と今は思います。
義父は「すべて俺が決断を下す!」という古いタイプの男性でした。
だからこそ、老いて病に倒れたせいで、家族を引っ張っていけない、自分が「家長」としてそれらしく振る舞えないことにいら立ちを覚えていたのだろうと思います。
そんなプライドを捨てて、家族に甘え、頼るのは、あの義父にはきっと天地がひっくり返っても無理だったことでしょう。その結果、いまも私の目には、義父の最期が「可哀想」という印象で残っています。

ある意味で、「甘える」というのは「プライドを捨てる」と同義です。
それは私と言う人間のアイデンティティを崩壊させる魔の言葉のよう。
かなり難しい、というか、できないような気がしています。
私は「掃除ができない自分」を許せるような気がしませんし、「他人にお金を払って掃除をしてもらう」ことを恥ずかしいと思ってしまいそうな気がします。お客様には「それでいいんですよ~」とかいってるくせにね。

■可愛いおばあちゃんになるために、ゆっくり「甘える」練習をしようと思う

最近の日本は、「自尊心」「自己肯定感」がキーワード。今を大切に生きるために、もちろんこれは忘れちゃいけないこと。
だけど、その先にある「老い」を見据えたときに、「甘える」「頼る」、そして「(自分を)許す」っていうのが、すごく大切なんだと思いました。

しかも、それは年齢を重ねるごとに間違いなく難しくなる。
いまのうちに、早く練習を始めておかないといけない。

…と思ったところで更に気付く。
そうか、引きこもり問題とかありとあらゆる社会問題がここに集約されるんだな。
日本人は「気遣い」はできるけど「気配り」は出来ない、ときいたことがあります。ただ強くあるために、弱さを捨てて邁進した結果がこれなんですよね。

他人の弱さをとやかく言う前に、自分の弱さを、ゆっくりさらけ出してみよう。
そして、時には他人に甘えてみよう。そうしよう。

…なんてことを仕事しながら考えた、今日。
それにしても私のお客様は先見の明がありすぎてすごい( *´艸`)


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