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「掃除なんてしないでちょうだい!」と言われ続けた私が選んだのはやっぱり掃除だった

「掃除が好き」というと、まぁ大抵の人からは「すごいね」「えらいね」と褒めてもらえます(…よね?)
子供の頃にお絵描きして褒めてもらうのも、かけっこで1位になって褒めてもらうのも、「かわいい子」を演じてちやほやされたがるのも全部同じ感情だと思います。私の場合、それが「掃除」でした

自虐っぽく聞こえるかもしれませんが、私は顔も良くないし手先も器用じゃない、スタイルも良くないし特技があるわけじゃない。
そんな私でも、掃除をしてみせれば周囲の大人は絶賛してくれるんです。
「なんていい子なのかしら」
「お利口さんねぇ」
そう言われりゃ誰だって喜んで有頂天になるでしょうよ。だから、私は掃除を頑張りまくりました。家の中はもとより、遊びに行ったお友達の家や、たまに連れていかれる親戚の家などでも掃除をしまくったのです。

いつしか掃除は私のアイデンティティとなりました。
私の掃除技術は素晴らしいんだ。そしてそんな掃除をする私は素晴らしい人間なんだ。子供がそう思うのは仕方ない。

しかしある日、母親から言われたのです。
「頼むから!他人の家の掃除なんてしないでちょうだい!恥ずかしいったらありゃしない!」

これにはもう目の前が真っ白になりそうでした。
だって、あんなに周りの大人は「掃除のできる私」を褒めてくれてたじゃないか。
なのに、「掃除をすることは恥ずかしいこと」だなんていきなり言われちゃうの?
さすがに納得いかず、母に問い質しました。すると

「あのね、頼まれもしていないのに他人の家を勝手に掃除するってことは、『お前の家は汚い』って言ってるも同然でしょ?」
「掃除って言うのはとてもデリケートなもので、勝手に押し付けたりしたら、それは大変に失礼なことだから」

母の言い分は大変的を射ていましたし、私自身も「そもそも掃除が好きなのではなく掃除をすることで褒めてもらいたかっただけ」な自分に気付かされて、それはもうショックを受けました。
私を構成するアイデンティティがガラガラと崩れ落ちる、その瞬間を子供ながらに味わったわけです。

この件に関して「うちの母は酷いやつだ!」などと言いたいわけじゃないので安心してね。確かに掃除とか片付けとかは「他人に押し付けて」はいけないものなので! むしろ身内である母にしか言えないことだったと思うし、言ってもらえてよかったと思っています。

とまれかくまれ、そのショックから数十年。
私はいろんな仕事を経験する社会人となり、さらには子供にも恵まれました。
母の言っていたことは理解できていたので、それ以降は「他人の家を勝手に掃除する」なんてことはしないようにもなりました。

しかし、紆余曲折を経て、結局、最後に選んだのは掃除屋稼業だったんですよね。
私が「掃除屋として独立したい」と主人に恐る恐る申し出たとき、主人は大笑いして「やっぱ掃除屋やっちゃうのか~、いや、いつかはそう言うと思った!」と快諾してくれたのも覚えています。
(主人は、私が何か言い出したら聞かない性格なのも知ってるから快諾せざるを得なかったのかもしれませんけどねw)

結局のところ、好きだったからこそ続けられたし、人に見てほしかったんだろうし、「これなら頑張れる」と思えたんだろうな、と思うわけです。

今ではその掃除を通じて試行錯誤することになり、
「掃除をしても綺麗にならない家があるのはなぜだろうか?」を突き詰めた結果「片付け」の重要性に行きつき、そちらも仕事としてしまいました。

なにより、「仕事として成立する」ようになってしまったから驚きです。

本当に「好きなもの」とは、一度離れても必ずまた戻ってくるものなんだそうです。

親に諭されて一度は離れようとした「掃除」なんですが、10年以上続いている仕事は唯一これだけ。

掃除なんて、誰にでもできる程度の仕事かもしれません。しかしこれだけ長く続けていれば、この分野にかけては一日の長があるのかもしれないと、少しだけ自分を誇らしくも思うのでした。


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