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整理(片付け)をすると自己肯定感が爆上がりするのはなぜか

整理収納アドバイザーとして仕事をしている私ですが、これはハウスキーピング協会というところが行っている認定資格で、国家資格でも何でもない、ただの民間資格です。一世を風靡した(と思う)資格で、当然のことながら私もその講義を受け、試験をパスしたので「1級保持者」を名乗って仕事をさせていただいています。

で、資格以前に、その講義というのがね。それを受講すると、何と言うのか、本当に、人が変わったみたいに明るくなったりするんです。なんかヤバイ宗教ですか? ってくらいに。
※これは参加者さんも口をそろえて言っているのでdisでも何でもありません、事実です。

つまり、整理整頓や片付けをしていくと、異様に性格が明るくなる、自己肯定感が強くなる、何かよくわからんけどハッピーになる、という謎現象が起こるわけなのですが、この仕組みについて少しお話したいと思います。
別にヤバイ宗教じゃないよ!(笑)

■「整理(片付け)」は「自己決定」の訓練になる

「掃除」と「片づけ(整理)」をいまだに混同している方も多いのですが、その二者は明確に違います。

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これは「空間を美しくするためのステップ」を図にしたものです。
作業は、このピラミッドの下から順に進めないといけません。その順序で行くと、掃除や収納をする前には必ず「整理(片付け)」を行わないといけないということ。そして「整理(片付け)」は誰かに代わってもらうことができない作業です。
なぜかというと、何が不要か必要かという判断は、当人にしかできないから。

そして、この「要・不要」の判断をするのは、自己決定の練習になるのです。

■「選択」することをしなくなった我々

いま、ネットで何か商品を買うと、「これも必要ではありませんか」「これを買った人はこんな商品も買っています」「貴方におススメなのはこちら」などといろんな商品をバンバン見せられます。
「私って何が好きなんだろう?」という簡単な問いの答えさえ、誰かが選んでくれる時代。ちょっと油断すると勝手にモノが家の中に、自分の周りに溢れてきます。

つまり、いまや時代は「お前の考えなんか必要としてねぇんだよ」という時代。
「自己肯定感を上げよう」とか「褒めて伸ばそう」とか言いますが、そもそも「その人自身」さえ見えない時代に、なにを認め、なにを伸ばせというのか。

そんな時に、片付けというのは嫌というほど自分と向き合ってもらう作業です。

※ちなみにここで言う片付けというのは、多くの人が勘違いしているような「何でもかんでもガンガン捨てちゃえー!」というのとは全く違います。

「どうしてこんなものを買った(所有している)のか?」
「これを持ち続けている必要はあるのか?」
「これは捨てても問題ないのではないだろうか?」
そんな問いかけを、モノひとつひとつに対して行う精神鍛錬みたいな、苦行みたいな、なんというかかなり面倒くさい作業です。しかしその作業を経て、最終的に「このモノは要るのか要らないのか」という決定を下していきます。

自ら選択をしなくなったこの時代に、ひとつひとつ「このモノは必要か?」と考えて手放していく。これが整理(片付け)です。
「モノを通じて自己決定をする訓練をしている」と言っても過言ではないでしょう。

もちろん、「自分の好きなものを選ぶ」という訓練でも、「自己決定」の練習は出来るでしょう。ですが、それ以上に難しいのが「何かをやめる」「何かを捨てる」「何かを手放す」の訓練です。
何かを手に入れるときでも(主に金銭的な)苦痛は伴いますが、何かを手放す際の苦痛の方が大きく、その分もっと疲れるし、大きく成長もできます。

※だからこそ、「一人でやらずに、誰かその道のプロと一緒にやらないと難しい」のです。整理収納アドバイザーが必要とされるのもなんとなく分かります。

■自己決定は幸福追求の根幹

「自分で自分のことを決める」。

え? それだけ? と言われそうですが、たったそれだけのことがどれほど難しいか。
考えてみてください。お部屋のインテリアの中に、自分が好きで選んだものはいくつありますか?
「全部です!」という方もいるかもしれませんが、本当でしょうか。

インスタグラマーが紹介しているのを見て「自分の部屋にも同じものを真似して置いてみよう」と流されて買っただけのものはありませんか。
「これ、あなたにお土産よ」と、別に好きでもないけど貰ってしまったから仕方なく置いてあるだけのモノはありませんか。
商品を買ったら粗品でついてきただけのよくわからないオブジェとか、福袋に入っていた似合わない色の洋服とか。意外と自分の身の周りは、自分で選んでもいないもので溢れているのです。
それを、自分で問い直していく、それが整理(片付け)の第一歩です。

そんな不要なものも、ひとつやふたつなら問題ないのです。けど、部屋の半分以上を占めているとなると、かなり厄介。
こうなると、毎日嫌なものに囲まれて生きていることになります。目が合うだけで嫌な気分になるので、見ないように奥に詰め込んでみたり。捨てるにも量が多すぎて気が進まない。「どうしてこんなに溜め込んじゃったんだろう」と自己嫌悪に陥ることも。そして「これを処分するのにどれほどのお金と時間がかかるだろう…」と頭を悩ませるばかり。そのくせ、面と向かいあおうとはしません。

野本さんのこちらの本、帯にある言葉が刺さりませんか?
「嫌なのになぜやめられないのか」――これは、選択することをやめた我々には当然のことです。好きも嫌いも自分で選べなくなってしまっているのですから。

これって少し「仕事」や「人生」に似てませんか。
嫌いな上司や同僚に囲まれて、渋々出社。上司と目が合うと仕事を言いつけられるから、なるべく目をそらして、「今日も何事もありませんように」と祈りながら適当に仕事をこなし、残業時間を指折り数え、そそくさと会社を出る。最近はどんどんストレスで体調も悪くなってきた。好きで入った会社だったはずなのに、こんな場所、もう居たくない。でも、やめるという決断はできない。だって、辞めたら今後どうなるか、分からないんだもの。

さすがに「会社を辞めてみる」というのはハードルが高くて尻込みするでしょう。ですが、自宅の持ち物を見返してみて、自分に深く問いかける、くらいのことなら誰でもやりやすいはず。
つまり、整理(片付け)は、きっかけをつかみやすく、しかも安価で誰にも迷惑をかけずに自己決定を練習できるツールなわけです。
こうして小さな自己決定を繰り返し積み重ねていくうちに、気付いたら自己肯定感が爆上がりしていくというわけ。

■特に女性は人生観を変えることができる

とくに女性は、整理(片付け)を通して人生観を大きく変えることができる可能性があります。なぜかというと、今まで、女性の多くは自分で自分のことを決定できる立場になかったから。
「パートに出て働く」のにご主人から「許可を貰った」という経験のある人、昔は多かったと思います。働くことにさえ誰かの許可が必要だったのです。
そんな時代はもう終わりつつあると実感していますが、その頃の女性の在り方を美徳と捉えている人も多い様子。
そう言った方々が、自分で自分のことを決められるようになると、そりゃぁ人生は大きく変わりますよね。

モノが多い(散らかっている)というのは「自傷行為」ではないか、という記事を昔書いたことがあります。
ということは、その逆である「整理(片付け)」とは、自分を認め次へと進む力になること――というのは言い過ぎかもしれませんが、それに似た体験ができる、と私は思っています。

自己肯定感が低い、人生が思うようにいかない、幸せになりたいのにどんどん遠ざかっている。そんな人はとりあえず、部屋の片付けから始めてみませんか。
でも、闇雲に捨てるだけなのは「片付け」でもなんでもないですからね!
ゆっくりおちついて、ひとつひとつ、片づけを始めてみてください。



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