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ゴミ屋敷住人が苛立っているのはなぜか

先日、こちらのツイートを拝見して胸が痛みました。

好きでもない人と密閉空間に押し込められて「他人には優しくしろ」と言われても無理。その辺は誰にでも理解できると思います。

同じような状況が起きているのが、いわゆる「ゴミ屋敷」。
ここに押し込められているのは人ではなくモノですが、状況は酷似しています。

ゴミ屋敷に住んでいる人も、最初から「私の家は素敵なゴミ屋敷にしよう♪」などと考えてゴミを集めていたわけではないんですよね。そうせざるを得ない逼迫した理由があって(それは各自で違っていますが)、仕方なくそうなってしまった。

先日、「モノが多いというのは自傷行為のひとつだ」というようなnoteを書いたのですが、

毎日毎日、不要なモノがあふれまくった状況で暮らしていると、どんどん自分自身や自分の家族が傷つけられていくのです。
モノには命も意思もないのであまり気付かないかもしれませんが、

■モノが多すぎるせいで必要なものが出てこない→イライラ
■モノが多すぎて食材を腐らせてしまう→罪悪感
■モノが多すぎて何を買ったか忘れてしまい同じものをまた買ってしまう→自分への不信感

などなど、モノのせいで地味に傷つく日々を送っているのです。
その結果、ゴミ屋敷に住んでいる人は、なぜかやけに、キレやすい/怒鳴り続けている/イライラしている人が多い(あくまで私個人の感想ですが、同意してくださる方も多いのではないでしょうか)。

つまりゴミ屋敷に住んでいる人は、家にいる限り24時間ずっと満員電車に乗っているのと同じ状態を味わっているということ。
そりゃ、誰にも優しくなれないし、どこか感覚がずれていくのも頷けますし、心の余裕など欠片もなくなります。

満員電車の場合なら下車することができますが、なにしろ家というのは本来「寛ぐため」に存在している場所。逃げようがありません。
大切な自宅がゴミ屋敷となっていると、

(1)家に帰りたくなくなる
(2)よそに「寛ぎ」や「癒し」を求めるようになる
(3)結果、「不倫」や「離婚」、「一家離散」が起こる

と説いているアドバイザーさんもいらっしゃいます。
大げさだと思うかもしれませんが、実際に年に1組は「片付けができない相手とは暮らせない」という理由で離婚したケースを目の当たりにしてきました。大げさだとは思えません。

その満員電車のような家の状態が慢性化してしまうと、感覚が麻痺してしまい、まともな思考が出来なくなってきます。

(有難いことに私はまだ経験したことがありませんが)ゴミ屋敷では、トイレさえもゴミで埋まってしまうため、用が足せなくなります。その結果、なんと、ペットボトルに用を足してキャップを閉めて部屋の中に放置するのだとか…。普通に考えてありえないのですが、もうなんとも思わないのでしょうね。

自分の家が満員電車のようだと感じたら。
ぜひ迷わず下車して外から眺めてみましょう。
とはいえ感覚が麻痺していて「自分の家が片付いているかどうかわからない」という人は、部屋の写真を撮って見るといいですよ。客観的に眺めることができます。手軽にできるのでおススメ。


まったく関係ない(こともない)ですが、フィンランドではベビーカーを動かしてるママさん(というか大人)は1名乗車料金無料だそうです。なんでかというと、ベビーカーを押すような大変な行為の最中に財布出したりすると、子どもが危険でしょ?という論点。

(日本で実現可能かどうかはさておき)子どもを中心に考えてくれている、その視点が嬉しいですよね。

もしサポートのご意思があるなら、お気持ちだけで。別の困っている方へ直接ご寄付ください。私と私の家族は元気なのでnote経由のサポートの必要はありません(*'ω'*)