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汚部屋は「動物の巣」なんだそうです

なかなか面白い記事と出逢いました。

「頭脳労働をしたり創作活動や仕事といったタスクをこなしていくときに必要なのは『人間としての環境』であって、汚いとか、ぐちゃぐちゃになってると『巣』になっちゃう」(中略)
動物の巣と一緒だ。そこでは能率が――脳の中の活性が全然高まらないんだ。ただ、居心地はいいわけ。自分の匂いとか、そんなのはもうべちゃべちゃついてるから、「そこでは人間としての脳の活性みたいなもののレベルが下がっちゃうからダメだよ」

上記URL参照

こういうのってさ、どれも心の解像度(かいぞうど)が非常に低下してるっていうか、画素が粗(あら)っぽくなってて、だから精神状態が雑になってるんだと思う。雑になるとさ、投げやりになったり、詰めが甘くなったり、自己嫌悪に陥ったり、無敵になったり、不安になったりする。
 だから、心の解像度をどう上げていくかということなんだけど、そうなるとね、とにかく目の前の仕事とか家事とか整理整頓など、あえて丁寧にゆっくり心を込めてやる。そうするとその結果としてささやかな達成感とか満足感、あるいは忘れていた感覚っていうのが呼び戻されて、きめ細かで充実した日常が蘇(よみがえ)って、やる気スイッチもオンになってくるというふうなことがある。「まずは丁寧に目の前のことをしろ」っていうね、ある意味当たり前といえば当たり前の話になってくると思うんですよね。

上記URL参照

「片付いていない環境」とは、人間として適切な場所ではなく動物の「巣」のようなもので、居心地はいいけれど能率は上がらず、解像度が低い世界。
結果として、精神状態が「雑」になり、投げやりになったり自己嫌悪や不安に陥る。
なかなか言い得ていると思うのです。

片付けの現場では「確かに汚いけど、私たち家族は不便を感じていない!だから片付けなんかしなくていい!」と言い張る人が多いです。
綺麗さの感覚がバグっているということだと思っていたのですが、汚部屋が「巣」であり、そこに居ることの方が(本能レベルで)楽だというのは、頷ける感覚でした。
ただし、そこは「人間の世界」ではない。だからクリエイティブで規則正しい生活はできない、と。

試験前や仕事が切羽詰まっている時に限って掃除がしたくなる人、いませんか? あれももしかしたら、心が均衡を失っていることを察知して、自分なりに帳尻を合わせようとして起こる現象なのかもしれませんね。

ちなみに、この話の中に面白い一説が出てきます。

「捨てよう」と思った瞬間に捨てるものが見える

何を当たり前のことを、と思うかもしれませんが、意外とみなさん「捨てちゃダメ!」「捨てることは悪!」という意識で生きてるんですよね。
片付けでお伺いしているにもかかわらず「これは捨てません」「貰いもので大事にしてるんです」と仰るわけです。
何とかしなきゃダメだとは思いつつ、まだ「捨てる」モードになれていない。そう言う人は(この文章中にもあるように)自分でサイドブレーキを掛けつつアクセル踏んでる状態なんですね。

で、スイッチの入った人の片付け方は本当にすさまじいです。
見ててこちらがブレーキを掛けないといけないほどに、「あれもこれも」捨て始めるのです。(「片付けハイ」状態になってるのは、それはそれで危険なのでこちらからもコントロールさせてもらってますよ!)

何はともあれ、片付けって奥が深い。
巣から旅立って人間らしい生活をできるかどうか。
その第一歩が片付け、なんですね…。

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