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老害は実害、だけど

共感しそうになったとき、特に誰かや何かを「糾弾する」内容に共感しそうになったとき、一歩踏みとどまってきちんと考えられるかどうか。

先日、このようなツイートを目にしました。

これを読んで、「そうだ、全くだ!」と納得した人も多いのでは。
老害は実害。確かに最近は横柄な年配者のせいで若い人が困っている、などと言う報道も多く、考えさせられました。年配者の頑固なまでに意見を変えない姿などは私も身近に知るところだし、自分で額装して戒めにしたいくらいの文章。

しかし。そこで踏みとどまれてよかったと思う。
というのも、私のお客様に、熱心に私にスマホの使い方を聞いてくる方がいるのです。そのお客様とは月に一度(家事代行での)ご契約ですが、その時間を楽しみにしてくれています。

学ぶ意欲のある年配者だっているんだよ、という話ではなく。

そのお客様には実は近所に住む娘さんがいらっしゃいます。しかも私とほぼ同じ年齢。
わざわざ月に一度しかない家事代行の時間の中、私にお金を払ってスマホの使い方を聞くよりも、無料で娘さんに聞いた方が楽だしお金もかからないしいいのに。…というようなことをお尋ねしてみたことがあるのです。が。

「〇〇が分からない、教えて欲しい、というと、娘はまず『はぁ!?』と嫌そうな顔をする。次いで、『はぁ…』とため息。いかにも面倒という顔。そして、訳の分からない単語でまくし立ててくる。『一度しか言わないからね!』と念を押されたり、『どうしてこんなこともわからないの』と怒られる。結果、聞く気がなくなる」というのです。

このツイートを読んでいて、そのお客様の顔が浮かびました。

このツイートの内容は、義母と嫁とその子供(孫)という関係のよう。
ということはこの「義母」様は結構な年齢だと推察できます。
行間を読むに、義母様の方からどうやらスマホの使い方を「教えて欲しい」と依頼されたのでしょう。ということは、義母様の方にも学ぶ意欲がないわけじゃないのです。
でも、そこにいきなり「グーグルマップ」と言われる。「なにそれ…?」と思っているところに次々に「指を見ろ」「この文字を読め」と矢継ぎ早に孫から指示が飛んでくる。義母様、顔には出ないけどきっと内心はあたふたしているに違いない。
それを、「聞く気がない」「先回りして間違った認識をする」などなどとひどいことを言われる。その気持ちはおそらく孫さんの顔や言葉にありありと出ていて、聞く相手を愚弄しているのだろうな…。
でも教える側は気付かない。「教わる側が悪い、ヤル気がない」と言う。

「分からないことを分からないと素直に申告できない」状況にしているのは、一体誰だろうか?

私にスマホ操作を聞くお客様は、私をめちゃくちゃ褒めてくれます。
正直私のスマホ操作術は、いい加減だし知識も少なく、その場で慌てて調べたりすることも多々あります。
けど、「ゆっくり喋って、親切に教えてくれる」「分かりやすい単語に置き換えてくれる」と好評です。
失礼ながら私はお客様に対して、「スマホを初めて触る小さい子供に教えるように」を心がけています。おそらくお年寄りや子供に必要なのは、「分かりやすい言葉でゆっくり教えてくれる」人ですから。
これは、赤の他人だからこそなのかもしれない。まして私は「お金をいただいているから」と親切丁寧に教える気になるのでしょう。

これが身内だとつい感情が入ってしまいます。
私は整理収納アドバイザーとして他家の片づけを仕事にしていますが、身内に限って身内をdisる光景は、片付けの現場でもよく見るケース。
「どうしてこんなものを買ったの!」
「お母さんはゴミばかり山積みして!」
「これを片付ける私の身にもなって!」
「昔はそんなじゃなかったのに!」
昔はキレイ好きだった親御さんが、年を召すにつれて体が動かず、片付けられなくなり、ごみ屋敷一歩手前になるのはよくあることです。というかよく見る現場です。それは加齢に伴う体力低下・ヤル気の低下が悪いのであって、親御様が悪いわけじゃない。

片付かないのは「その人が悪い」のではなく、散らかる原因が部屋そのものにあったり、仕事のストレスを買い物で発散していたりと、「人以外」に原因があることもしばしば。それを「人」の責任にしたとたんにうまくいかなくなります。

だから私は、このツイート主さんが間違っている、おかしい、とも思いません。
でも、必要なのは共感であり、分かりやすい説明であり、「いずれは自分もこうなるんだなぁ」という自戒であって、親御様を責めることではない、はず。

また、踏みとどまって考えることができたのは、自分自身に同様の経験があったから。だと思います。教える側の意見も、教えられる側の意見も経験していたこと。これは大きい(と思う)。

そして、とても有意義な反論ツイートを見かけました。
これにはとても頷かされました。

義母様を「あなた自身」に、この孫さんを「職場の上司」とか「嫌味な先輩」などに置き換えてみると、どれほど孫さんがひどいことを言っているかが良く分かりますよね。

新しい職場に入ったばかりの頃。
職場の上司や先輩の教え方がひどくてヤル気を失くした経験はないでしょうか。
「もっと親切に教えて欲しい」「せめて笑顔で接してくれれば聞く気になれるのに」「こちらのやる気を削ぐような教え方だな」と思ったことはないだろうか。

自分が教わる側だとそう思うのに、教える側になったとたん、「教わる側の意欲がない」と話を擦り替えてはいないだろうか。
ましてそれが高齢者や子供相手だと、さも「相手が悪い」と高圧的になっていないだろうか。

実は、私の実家の父も、同じようなことを愚痴っていたことがあります。
実家は弟が継いだのだけど、まだ第一線で働いている父。
その父が、弟にパソコンの使い方を教わろうとしたときのこと。
父曰く、「弟は全然教える気がない」。
弟曰く、「父は全く学ぶ気がない」。
その両方の言い分を聞いていただけに、「あぁ…(何も言えねー)」となった記憶が。

老害と言われないように自戒する、という意味ではいいツイートだったけど。
視点を変えれば「老人や子供に優しくできない社会はこうやって生まれる」ということなんだなあとも読み取れるこのツイート。
老人に優しくできない社会とは、いずれ自分自信も蔑まれる社会だということです。

みんな、「教え方」を考えよう。
「人に聞いてもらうには、どうしたらいいか?」
「もっとわかりやすく説明できないか?」
「分からないという原因を、私が取り除いてあげるにはどうしたらいい?」
教える側がそう考えるだけで、この世はうまく回る。教わる側にその責任を負わせないようにしないとね。

あとは、締めくくりに相応しい、素敵なツイートも拾いました。
人間、こうありたいものですな!

そう、祖父母はずっと私の祖父母。それを「老害」にするもしないも、自分の力量、かもしれない。素直なおじいちゃんおばあちゃんになってもらえるように、私達も勉強して歩み寄らないとね。

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