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マジで『お姫様』になりたいって話

女の子は誰しもそういう時期があるかと思います。しかし、この現実世界を知っていく中で無理であることに気付くと思います。白馬の王子様なんていないしお城もありません。何ならドレスが似合う顔もしていません。世知辛い。悲しいね。

このようにして本来持ち合わせている子どもの頃のキラキラとした夢は抑圧され、忘れ去られています。馬鹿げていると思う人もいるでしょう。

ですけどね。私はやはりプリンセスになりたい女なんです。
ただし、私はもう知っています。待ってるだけじゃプリンセスにはなれません。まずはプリンセスになるための環境を整えるのです。

1つめ。ビジョンを考えます。プリンセスと一口に言ってもディズニープリンセスのようにいろんなタイプのプリンセスがいます。しかし前提として、待ってれば運命の人が…♡という思考は捨てます。ここは現実だ。現実系プリンセスになりましょう。そして私の性格のタイプや持っている世界観を整理し本当になりたいタイプを分析した結果、『聖女』になりないことがわかりました。

自分でも、変なの、って思います。ドラクエかよ厨ニ病が、と笑けてきます。しかし、どうやら私はただ可愛かったり行動力があったりするだけでは満足できないようです。自分が好きなことをして自分の人生を切り拓くことも大切ですが、どうやら人の役に立ちたい、だとか人を癒やしたい欲がすんごくあるのです。それをして自分が救われる部分があります。そのくせ偽善というものが嫌いなので正したいと思うものは対症療法ではなく根治療法にまで心血注ごうとするきらいがあります。ただし、心の体力がすぐに尽きるので偽善に終わるか、そもそも偽善すらしないという自分が最も嫌う状況に追い込まれがちです。

そして、人を癒やすには自分も癒やされた状態でなければキャパオーバーになるわけなので、肉体的にも精神的にも癒やすパワーが必要になります。癒やしのパワーというのが、何もスピリチュアルなことを言っているんじゃあなくて、自分のことも相手のこともよく知って、それに応じた手立てを考えることができる、という感じでしょうか。それに導かれるように心理学や教育学を学んでいるわけですから、なるほど聖女ってのはあながち間違ってないんだろうな、という気持ちになります。

また、崇高なモノに憧れがちです。恐らくこれまでの経験の中で本当の自分を理解された経験がほとんど無いがために、「自分は人と違う」と良くも悪くも自覚しているところがあります。高潔で気高くありたい。大いなる存在にいつどこで見られていても恥じない姿でありたい。このような信念が心の底にあるようです。

2つめ。行動に移します。
まず目に入るところから。寝室を変えます。これは気持ちの切り替えの練習にもなります。
私はアパート住みなのですが、部屋は大きく2つにわかれています。寝室とリビング。リビングは私の中では「現実世界」です。飾りもほとんどありません。筋トレと勉強とご飯を食べるだけの場所です。これは「教員」というペルソナをベリッと剥がす場としても活用できます。そして寝室。私の中では「異世界」です。天蓋がついたベッド、フェアリーライト、天然石のろうそく。占星術の本に美しい装飾が施された薬学の本。基本的に緑色で統一し、癒やしのイメージです。大好きなミュシャのクッション、天使が赤ちゃん(多分イエスキリスト)のために音楽を奏でる西洋画。(名前忘れた)
とにかく心と体を癒やすための場所なので、世界観を徹底して作り上げます。自分の妄想を現実世界へ持ってくるのです。ここでは、自分の世界に浸り「聖女」のペルソナを被ってとことん回復していくイメージです。

しかーし。世界観だけ変えても聖女にはなれません。まずは見た目です。筋トレと食事管理などの見た目についてはは当たり前ですが、最近私が気にしていることは「姿勢」です。姿勢が悪いプリンセスなんていません。高貴な人はみんな背筋が伸びています。その他に言葉遣い。人に合わせた言葉遣いをする私ですが、デフォルトでは綺麗な言葉遣いができるように自分を監視しています。難しいです。
そして、中身。一番難しいです。自分を癒やすことに一番関係がありますが、私にとっての癒やしは「五感に関すること」と「精神的な充足感(自己肯定感の向上)」のようです。前者は簡単です。何も考えず純粋に人と遊び、食べて寝る。これを罪悪感なくやります。オートモードだと罪悪感を感じる仕組みになっているので、意識して楽しむようにしています。しかし、こればかりすると自己を向上させることができなくなります。そこで、読書、心理学の資格の勉強、筋トレ、そしてマインドフルネス瞑想を取り入れていくことで自己肯定感を上げてバランスを取る、という感じです。すると満たされて人に何かを施すことができるようになります。「こうありたい」という姿が『聖女』ですのでその姿が少しでも実現された時、人生が豊かになる感覚を味わうことができます。

最終的にどうなりたいのか。
そもそも自分の性格に「受容」というものが組み込まれています。何が起こっても、あぁそう…と受け入れる何かがあります。そこから意味を見出し、自分の心が癒やされると次のステップに飛び出すことができるようです。しかしモノによってはそれが恐ろしいものだったり受容したとは言えわだかまりが残るといつまでも影響を及ぼしてくることだってあります。これが続くと、その過去から癒されることがないので固執します。そして拗らせていくのです。だから、受容したとしても自浄できないほどの出来事は人に話すなど健全な方法で癒やされていくことが必要なのでしょう。

この「受容」は私の強みだと思います。メンタルはよわよわですが、傷付きながらも受容すればいつしか勝手に癒やされていて、一回り強くなって蘇る、そういう力が隠されていると感じます(願望)。

そして、その力を無意識的に人に使いたいって思ってしまうのでしょう。これもデフォルトで組み込まれているようです。厨ニ病的ですが、私が「聖女になりてえな」と感じてしまう所以はここにあるような気がします。こればかりは変えられないようです。しかし自己犠牲までいくと、それはもう最終手段のようなものです。自己犠牲は何も生みません。自分を救えない人間が他人を救えるわけがないからです。

壮大な話になりましたが、結局私はプリンセスじゃあなくて『聖女』になりたいってことのようです。

皆さんは何になりたいですか?

PS
ももももももちろんこういうのにも憧れますけどね………???





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