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目指す『教員像』

教室は、子どもが本格的な社会に出る前に経験する一番小さな社会であり、本格的な社会に出る前のリハーサルだと思っています。つまり、学級1つが小さな国だと言っても過言ではないと考えています。

国は、総理大臣なり大統領なりが治めています。この国の総締めが教室で言う担任あたるものだと考えています。つまり私が実権を握らなければ革命(学級崩壊)が起きてしまうのです。

しかし、私は絶対王政が嫌いです。あくまで民主主義でいたいものです。ならば、政治の質の是非はともかくとして一応今の日本の政治のような仕組みであれば良いのか、というとこれもまた私の中で少し違うようです。

目指すべきは『ローマ教皇』です。
インノンケンティウス3世という教皇は、「教皇は太陽、皇帝は月」という言葉を残しています。これは、皇帝の権威よりも教皇の権威のほうが強いということを意味しています。これを学校教育に当てはめてみると、児童は何だか担任に搾取され主体性を失っているかのように思えるかもしれません。担任がいなくては児童は輝くことができない。そんなふうにも捉えられる言葉とも言えます。

しかし、そういう意味ではなく。
実際、緊急時に大きく力を発揮するのは我々の指導です。結局立場の話とは言え児童たちは私達に従わなくてはなりません。そういう意味で、私はしっかりと実権を握っておきたいのです。

ですがイギリスの「王君臨すれども統治せず」の精神で、極力何もかもを子どもに任せたいと思っています。何もかもを任せますが実権はしっかりと握っています。

そして私のローマ教皇のイメージは、「慈悲深い」「厳しい」というものがあります。実際はどうかは存じ上げませんが本来崇高で誇り高く人格者であるはずです。そのような人間になりたいのです。

まだまだ足場を固められていません。教室という小さな国で私はどのように政治をしているのか。子どもたちのみぞ、知る世界です。

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