独立記念日 9日目

最近、グッと気温が下がり始めた。天気の良い日も多く、散歩したいなと職場の大きな窓から外を眺めることも多くなった。あまりスタバに来ないのだが、久しぶりに来てみると色んな人がいて、話している人の会話に思わず耳をそば立ててしまう。忙しそうにパソコンを操作する人、楽しそうに新作を嗜む高校生。旦那の愚痴を話す主婦の井戸端会議。様々な人がいるものだ、と考えてる。

最近、Netflixで話題の「地獄が呼んでいる」を全話見終わった。わたしは特に信仰している宗教はないが、昔は新興宗教の2世として生きていた。信仰していたが、そもそも興味がなく親は熱心であったが何かおかしいと思うところがあり、数年前に脱会している。宗教は信念があることは良いことで思う。それが過剰であったり人としての道理から外れていると狂気となりうる、とのメッセージがあるのではないかと感じた。

現代はSNSが発達し、LINEやTwitter、Instagramなど容易に情報を得られる時代である。その中で自分が何が必要で何が不要か選択するのは誰でもない、自身なのだ。わたしは昔から友人に何か相談された時、「あくまでわたしの意見である」こと、「最後に答えを出すのは自分である」こと、「その決定は責任転嫁できないものである」こと、を念押ししている。誰かに相談した時に「誰々にこう言われたのに上手くいかなかった。」と言う人がいる。でも、人は日々選択の連続であり、それを決定して行動したのは自身である。それを誰かのせいにするのはわたしは納得がいかない。もちろん、誰かのせいにしたくなるような理不尽なこともある。そんなことがこのドラマにはあるように思う。

今日飲んだこのソイラテが意味のあるものであるように、わたしの今日の選択に満足できるよう祈っている。

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