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終着点

さて、、

noteを始めて1年が経過しました。

私がnoteを始めたきっかけは、失恋でした。

この1年で完全に吹っ切れました!
次の恋探してます!!

と強気にいけたらいいのですが、、

現実はそう甘くはなく、、
何度かこのnoteでも申し上げた通り区切りをつけようとはしました。
しかし、完全に断ち切るのは無理でした。
正直なところ。


最愛の人とデートした時のツーショットや訪れた場所の写真は今もなお消せずにスマホのアルバムにあって、、

一般的には消すべきなのだろう。
しかし、それを消すと部活もせず勉学に励み、青春と言える思い出も全くない私にとって、数少ない青春の思い出を消すことになる。

即ち大げさかもしれないが、私のこれまでの人生を否定しかねないこと。

とは言うものの、たしかに一年前よりかは思いを馳せることも少なくなったのかもしれません。
しかし、きっと私の心の中には最愛の人は今もなお居続けています。

そしてこれはこの先どんな人生を送ろうと決して消えるものでないこともなんとなく自分で分かってます。

それは私の弱さ故、
いや、弱さと言うより愛という強み故。
なのだと思います。

人を好きになれば、それしか見えなくなって、人生=好きな人。そうなってしまう私の性格ゆえの事なのかなと。

上手くいってる時はそれで良いのですが、離れた時に地獄を見るタイプ。
ある種の諸刃の剣を持ったタイプだなと最近思います。

マッチングアプリを始めてマッチして、会話を続けても、やはり心のどこかで、まだ最愛の人があるから、なかなか自分から

「もし良かったら会いませんか?」

の一言が言えない。

もちろん、このご時世というのもあるが、
それは言い訳でしかなくて、、
このご時世で無くても同じなんだと思う。

好きな人が欲しい。恋人が欲しい。という私の感情がある一方、最愛の人のことを1年以上経った今でもなお、私は心のどこかで思い続ける私もいる。

相反する私がそこには居て、
その状態が約1年続いてます。

恋をしたいと思いつつ、でもしたくない気持ちもある。

自分のことながらとてもややこしい事になってます。。

例えば、そういう複雑な相反する気持ちを持ってる期間が失恋してから1年!とか2年!と期間が決まってたら、まだいいのでしょうが、ズルズルと2年3年と月日だけが経ちそうで、、

周りはそれぞれ結婚するという選択や今は仕事に打ち込んで結婚しないという決断をして、自分のライフプランを進んでいくのに、私だけは中途半端な気持ちで月日だけが過ぎていくことがとても今怖いです。。

強がりかもしれないけど、結婚しないという選択肢だってあるはずです。

しかし今の私は、その決断をした私では無く、ズルズルと自分の人生から目を背けているだけなのです。目を背けて、将来を悲観する。

そういう側から見れば悪いサイクルだなと一目でわかる生き方をしてます。

今後恋愛するもしないも今のこの悪い状況から、抜け出すには自分で決断するしかないです。

その踏ん切りがつかぬまま1年が過ぎました。

周りから見たら重過ぎる人なのだろう。
それは自分でも分かってる。
でもそれは誰に何を言われようときっとこの先も変わらないのだと思う。

そんな私は一体どこへ辿り着くのだろうか、、

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