資産を与える子孫の作り方

本しゃぶりを更新したばかりなので、コメントをネタに記事を書く。

前回ほどではないとはいえ、今回の記事にもそれなりにコメントがついた。例によってコメント欄は玉石混交。だが今回もっとも鋭いコメントは、ブログのコメント欄にあった。

いつも読んでますが面白かったです。まんまプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神ですね。
最後のオチの部分が気になりました、数日前にnoteで子供を持つことを考えたことはない、と書いていたと思うのですが、その上で富を蓄えて幸せになろうとするのはラクダを針の穴に通すくらい難しいのではないでしょうか?

その指摘は正しい。実際に俺はそうnoteに書いている。

幸いにも俺は奨学金を使っていないし、子育てしようと考えたこともない。なので質問者が俺を参考にするのは正解というわけだ。

俺の生きるモチベーション|honeshabri|note

では俺の「子供のために蓄えろ」という教えは、俺自身を否定することになるのだろうか。そんなことはない。「子育てをしない」と「教えに従う」は両立できる。もちろん孕ませてから捨て、養育費を払うという意味ではない。自ら子供を作る必要は無いということだ。

例えばカエサルは、後継者として自らの息子であるカエサリオンではなく、大甥であるオクタヴィウスを指名した。その莫大な財産も実に4分の3がオクタヴィウスに相続された。そして知っての通り、オクタヴィウスはカエサルから与えられた財産と人脈を活用して成り上がり、ついには初代ローマ皇帝になる。

つまり財産を与える相手は、別に自分の子供である必要は無いわけだ。自分が納得できる相手がいればそれで良い。

とはいえ、カエサルとオクタヴィウスは一応親戚である。もし親戚の中に自分の財産を与えるに値しない者がいないならどうすればいいか。素晴らしい手本がもっと昔に存在する。

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