ストア哲学を読み、得に従う

最近連続でストア派の本を読み、今もエピクテトスの『人生談義』を聞き流している。これまで個々の本に対して読書感想文は書いてきたが、ここで今の時点におけるストア派の感想を記しておこう。

以前noteで書いた通り、俺は幸福に対しては快楽説をとっている。

そのため基本的な方針としては、ストア派よりもエピクロス派に近い。基本的に快楽を求める。ただし刹那的な快楽は積極的に求めない。後で大きな対価を支払う必要があるならば、損だからだ。逆に後でプラスになる見込みがあるならば、自制することもある。この辺のことも以前noteで書いた。

対してストア派は、幸福とは徳(アレテー) に従うことだとしている (と俺は認識した)。アレテーとは卓越性と訳されることもあり、その対象が持つ優れた特徴である。

例えば馬の徳は「速く走る」であり、ナイフの徳は「よく切れる」というように。ナイフは美しいことに越したことはないが、よく切れなければ価値はない。だから何よりも徳に従うのが何よりも大事なのだ。

では人間の徳とは何か。ストア派たちは、それを理性(ロゴス) だと考えた。ゆえに人間は理性に従って生きるのが幸福な人生であるとし、そのためにどうあるべきかを語ったのだ。

この「徳に従うことが幸福」という主張に両手を挙げて賛同できないし、人間の徳が理性であるというのも、疑いの目を向けてしまう。他にもストア派は運命論やインテリジェント・デザイン論を提唱していたりと、どうも根本的なところを俺は受け入れられない。

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