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高度に発達した動物学は文化人類学と区別がつかない
せっかくだからこれについてもう少し書くか。
水野さんからご恵贈いただいた。さっそく読み終えたが、やはり極めている人同士の対談は面白い。それぞれゴリラとシジュウカラの話をしているはずなのに、文化人類学の話を読んでいる気分になる。それだけ対象と共に生活しながら研究しているからだろう。やはり深く知るためには生を観察するべき。 pic.twitter.com/Zb0fgiYajJ
— 骨しゃぶり (@honeshabri) August 7, 2023
後半の言語の功罪を読んでいると、つい苦笑してしまう。人にとっての社会的グルーミングは言語ではなく「共食」「音楽」「火」の3つというのだが、俺は3つとも避けるようにしている。また言葉で表現できないものとして「食」「性」が挙げられるが、これも俺は興味ない分野。俺は言語に偏りすぎている。
— 骨しゃぶり (@honeshabri) August 7, 2023
良くも悪くも本書は対談をまとめた本である。なので二人の研究をじっくり解説とかではなく、一流の動物学者がどんなことを考えているかを知れる内容となっている。そのため「学び」というよりは「気づき」がある本だと言えるだろう。
それで俺が読んでいてどんな気づきがあったかと言えば、それがツイートした通りである。前半では、たとえ対象が動物であったとしても、本質的には文化人類学と同じだなと思ったわけだ。
去年読んで面白かった本の1冊に『Anthro Vision』がある。
人類学者が様々なビジネスの現場に入り込み、内側から観察することで本質的な問題や欲求を見つけ出す話が紹介される。本人たちも自分が本当は何を望んでいるか分かっていないので、ヒアリングしても意味が無い。だから内側からの観察が重要となるわけだ。
これは動物の研究においても同じだと思った。もちろん動物の場合、言葉が通じないのだからヒアリングではない。研究室での実験である。動物のことが知りたければ、管理された環境で実験するのが手っ取り早いと思うだろう。しかし、二人の話によるとそうはいかないようだ。
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