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東大生と整理する「ルイジアナ史」【解説動画あり】

 こんにちは、東大生ラッパーの法念です。今回は、ちょっとややこしい「ルイジアナ」の歴史です。では早速いきましょう! ぜひ解説動画もご覧ください↓
https://youtu.be/safe4CU6BCQ

フランス領ルイジアナ

 ルイジアナは17世紀にフランスの探検家が探検して、当時のフランス王のルイ14世に献上した土地です。北アメリカの植民地で、中央にはミシシッピ川という川が南北に流れています。ルイジアナという名前は、「ルイ」にちなんでつけられたものです! 最初はフランス領だったわけです。

るいじあな

パリ条約(1763年)

 このパリ条約は、フレンチ=インディアン戦争の講和条約です。主にイギリスとフランスが北アメリカで戦った戦争で、イギリスが勝ちました。そこで、ルイジアナのミシシッピ川より東の部分(ミシシッピ以東のルイジアナ)はフランスからイギリスに渡りました。

 一方、西側は、フランスからスペインに渡ります。その当時、スペインの王家はフランスと同じ、ブルボン家でした。ある意味、フランスとスペインは仲間だったのですね。スペインは、この条約でイギリスにフロリダという土地を奪われています。フランスは、ある意味そのお詫びとしてミシシッピ以西のルイジアナをスペインに渡したのです。

パリ条約(1783年)

 このパリ条約は、アメリカ独立戦争の講和条約です。合衆国はイギリスから独立したのでした。その際、イギリスはミシシッピ以東のルイジアナを合衆国に渡しています。なお、ミシシッピ以西のルイジアナは、スペインのままとどまります。

 しかし、スペインはフランスからミシシッピ以西のルイジアナをもらったものの、その維持に相当なお金がかかることから、苦しんでいました。結局、密約により、フランスに戻してしまいます(1800年)。

ルイジアナ売却(買収)(1803年)

 当時、ミシシッピ以東は合衆国、以西はフランスの領土でしたね。この年、フランスはミシシッピ以西のルイジアナを合衆国に売却しました。当時のフランスはナポレオン時代。ナポレオンは各地で戦争するお金が欲しい一方、合衆国は西に領土を広げたい、そういった背景がありました。こうしてこの年、ルイジアナはすべて合衆国の領土になるわけです。

 今回は以上になります。密約の年号は重要ではないので、20年ごとに大きな変化がある! というように抑えられれば完璧ですね! ではまた!

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