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【書評】読みたいことを、書けばいい。田中泰延著 No.7

【結論】

「書く」とは自分のために書くものである。決して人のためではない。

事象(世の中のあらゆるモノ、コト、ヒト)を見聞きして、それに対して心動いたことを自分のために書く。自分が後から読んだ時におもしろいと思えばそれでよい。だから書くことに対して恐れることはない。

自分はなにかに触れて、心が動いた。そのことを過不足なく、なんとか書こう。それを書くことは、まずは自分を孤独から救ってくれる。また誰かの心をもしかしたら救うことになるかもしれない。

【こんな人にオススメ】

◆ライター志望の方                              ◆ブログやNoteなどインターネットで書物をしている方                   ◆どのように書いたらよいのか、ヒントがほしい方                    ◆笑いたい方

【著者について】

田中泰延さん トラックの運転手、青年実業家というフリーランスの方

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こんなエントリーシートを作って電通を受けて入社し、24年間コピーライターとCMプランナーとして活動し、今は退職してインターネット上で執筆活動をしている人。

「ひろのぶ」って呼んでみてください。


【1.出会い:立ち読みで笑ってしまったww】

尾張旭市のイトーヨーカドー。その本屋にたまたま立ち寄り、適当に本棚を眺めていたら、シンプルな表紙をした本書に目が留まり、軽い気持ちでパラパラとページをめくり、立ち読みをした。そして不覚に吹いてしまったww

◆あまりにも字が大きい(ふざけているのかと思いさえした)                                      ◆既存の文章術の本のディスり方がおもしろすぎた                     ◆自分のために書け!というメッセージが心の琴線に触れた

特に笑ったのは

『文章力向上72のステップ』などという本を見ると、気が遠くなる。だいたい、いつまでステップしているのか。いい加減にホップするなり、ジャンプをしてはどうか。
『文章を書くための100の法則』などという本まである。そんなに法則を覚えられる記憶力があるなら、司法試験を受けて弁護士にでもなるほうがよっぽどいいと思うのだが、あなた、どう思いますか?

斬新なツッコミで、切り口鋭く、思わずうなずいてしまった。「あなた、どう思いますか?」が目に入った瞬間、本に顔をうずめて笑ってしまった。他のお客さんは店員さんに見られていないことを切に願う・・・。完全に怪しかっただろうなぁ。

わずかな時間の立ち読みで、僕はこの本を買うことに決め、その日のうちにほとんど読んでしまった。


【2.何を書くのか】

結:随筆を書く

著者は定義を大事にする。例えば「文章」と「文書」の違いはなにか?「趣味」とはなにか?「幕府」とはなにか?「随筆」とはなにか?

ものを書くときに、言葉の定義を明確にしないと、何を書いているのかわからない、ということになりかねない。自分が何を書いているのかわからなければ、相手に伝わるわけがないと。よって筆者は言葉の定義をせよ、と主張する。

例えば「文書」とは主に仕事で使われる企画書、レポート、報告書など問題解決や目的達成のために作成される書類のこと。

「文章」とは書きたい人がいて、読みたい人がいるもの。それはほぼ「随筆」であり、ネットで読まれている文章の9割は「随筆」だという。

「随筆」とは

事象と心象が交わるところに生まれる文章

であり、人は事象(世の中のあらゆるコト、モノ、ヒト)を見聞きして、それに対して思ったことや考えたことを書きたいし、読みたいものである。


僕の例で言えば、精巣腫瘍のステージⅡAに罹患したこと、これこそ「事象」だ。それに対して思ったこと、考えたことを(心象を)綴ったブログが僕にとっての「随筆」である。興味があったら以下の闘病ブログを覗いてみてください。

事象寄りに綴ればそれはジャーナリストや研究者となり、心象寄りに綴ればそれは小説家や詩人となる。

小説家やジャーナリストでない僕たちが何を書くのか?それは出来事に対して心動いたとを書く、「随筆」なのだ。


【3. 誰に書くのか】

結:自分のために書く

大前提として、自分がおもしろいと感じられないものは他人もおもしろくない!という事実を知るべきである。誰を想定して書くのか、というターゲットを想定しなくていいと著者は主張する。

誰かのために書く、というのは大事かもしれないが、落とし穴として「他人の評価」の奴隷になってしまうこと。「いいね」がつかないとがっくりする、なんてのは書くこと自体が嫌になってしまうだろう。

自分で書いた文章を一番最初に読むのは間違いなく自分である。誰も読まなくても自分が後から読み返したときに楽しくなればそれでいいじゃないか。この筆者の主張は今までの文章をテーマにした本で聞いたこともなかったので、新鮮でストンと腹落ちした。


【4. どう書くのか】

結:愛と敬意を持って事象を調べること

何を書くのか=「随筆」。誰のために書くのか=「自分のために」。ではHow??どうやって?この章は一番ページ数が多かった。僕が参考になった点のみ書いてみる。

① 心象を語るには事象の強度が必要 (調べることの重要性)                      ② 起承転結は随筆を書く上で最も訓練になるコード進行

① 事象の強度が必要                               「寒い!寒い!」「私、ブロッコリー大嫌い!」は随筆だろうか?この2つは自分の内面を語っているだけに過ぎず、随筆として形をなしていない。小学校の授業で読書感想文で「この本は面白かった!」と同じレベルである。

だから心象を語るには事象の強度が必要。「がんは恐ろしい」よりも「がんは細胞のコピーミスで起きる病気であり、誰もが罹りうるから恐ろしい」と書いたほうがよっぽど伝わるし、随筆としての体をなしている。

つまり事象に出会ったら事象の強度を行って心象を述べるために、調べることが何よりも大事である。ライターはこの「調べる」=「1次資料を用いて」が何よりも大事だという。

そして論理構成を考える。完璧でなくてもよいから、その過程を自分自身のために過不足なくなんとか書く。後で読み返したときに自分のためになるし、もしかしたら他の人の気持を動かす文章になるかもしれない。


② 起承転結                                    事象に触れて論理展開し、心象を述べるという随筆に、起承転結ほど効率よく使えるコード進行はないという。起承転結はすなわち

起:実際の経験(発見)                                       承:具体的に何があったか(帰納)                                                 転:その意味は何か?テーゼ化 (演繹)                                結:感想と提言(詠嘆)

である。197ページに筆者の実際の起承転結ツイートがあったが、これがすごくわかりやすい。以下ちょっと練習。

起:2歳の我が子の振る舞いに胸の底から怒りがこみ上げた                 承:2歳の我が子が食事中に癇癪をおこして箸を投げつけた                       転:自分も思い通りにならなくて身体レベルから怒りがこみ上げたとき、  モノにあたってしまうことがある。単に自分の言動を見て真似しているかもしれない。                                結:子は親の鏡とはよく言ったもので、怒りに任せて怒鳴りつける前に、自分自身の言動を見直さなきゃね。

これは起承転結として体をなしているだろうか。誰か教えてもらいたいものである。実際にやってみるととても頭を使う。起承転結の練習として、140字以内におさめなければいけないツイッターを利用するのはいいかも。


【終わりに】

この本を読んで、Noteの書き方が変わった、つもりである。具体的にはですます調の脱却。今の書き方の方が、後で自分が読み返したときによほど伝わりやすい。

著者は「書くことは腰が痛いこと」と表現されていた。ぷぷっと笑ってしまったが、書くことで生計を立てている著者の、書くことへの思いはとても深く、愛があると思う。

あなたが書いたものはあなた自身が読む時、たった1日だけ、あなたを孤独から救ってくれる。自分が読んでおもしろいと思えるものを書こう。

こんなメッセージ、今まで読んできた文章に関する本で見たこともない。こころに突き刺さり、思わずメモしていつでも見れるようにボードに貼ってある。

Noteという場所で、これからも自分自身のために、書いていこうと思いました。田中さん、素晴らしい本をありがとうございました。

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